2026年1月14日水曜日

今日の想い 1440

 壇上で語る牧会者はみ言葉を交えながら、溢れんばかりの希望的な言葉の羅列に余念がない。それは恰もトンネルを抜け出せば眩いばかりの天の恩賜が降り注ぎ、試練の期間が悪夢のように消え失せる、そんな期待を持たせてしまう。私達は何度も何度も、幾重にも幾重にも、修練会の中で、また聖日礼拝で、いろんな教会の催しにおいて語られる希望的言葉で現実に対してきた。いや対してきたのではなく、希望的思考や感情という教会の大気の中で安穏としてきた。食口はそんな教会説教を受け取ると、楽天的姿勢や態度を無意識に取ってしまう。楽天的は建設的とは異なる。楽天的は夢想状態で結果責任が曖昧であるのに対し、建設的であれば地に足をつけていて結果に対する責任感情をしっかり引き受けている。アボジから多くの摂理的案件が示されながら、どれほどの結果を残して来ただろうか。何をやるにしても地に足がついておらず、結果を残した日本の万物復帰以外どこも尻すぼみで、いつしか消え失せてしまっている。もし教会がこの世に対してアベルだとするなら、カインをサタン呼ばわりするものの学ぼうとしなかった過去をどう反省するのだろうか。アベルが独走すべく独善的な姿勢で周囲を見ずして何の復帰摂理だろうか。今回の一連の対応については日本の教会の独善性がよく表れていて、聞く耳持たずだ。せめて反省する姿勢の真似事だけでも示せていれば、何らかの生き延びる道が残されていたかもと思うと、残念でならない。教会解散は組織の死刑宣告だというこの重大さがわかっていない。教会が御母様を独生女として立てる第二の信仰に移行するなら、先ず楽天的な無責任性とカイン無視の独善性から改革して、摂理に対して結果を残せる教会にして欲しかった。

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