2026年1月10日土曜日
今日の想い 1437
通夜と葬儀の挨拶は、自分の人生の大半はアメリカ生活だったので日本語は未熟だと前置きして話を始めた。通夜で話したことは、お寺さんの高説は私にはほぼほぼわからないが、しかし法話が始まると同時に父が喜んでいるのを感じたということ。挨拶に立つまでは何を話そうかと思っていたがこの実際に感じたことを簡単に述べた。葬儀で話したことは、控室にあった喪主挨拶の定例文を読み上げて終わろうかと思ったが、しかし内々の葬儀なので父の生い立ちの一部でも触れて故人を偲んで欲しいと話を始めた。父の幼少の頃の事故による大やけど、身障者扱いによる職業訓練所での理容技術の習得、田舎に帰ってからの結婚と開業、そしてその雪深い田舎で二男一女を育てながら人生の大半をそこで送ったこと。私はあの田舎が兎に角嫌いで高校は田舎を出て広島市内に行ったし、最後には地球の裏側まで逃げてしまったが、あの住み辛い田舎で父と母が生活し続けたというのは、それだけで尊敬に値すると思っていること。親に一番心配をかけ苦労をかけた私が言うのかということだが、幼少期の事故から出発した父の人生は難儀な事の多かったのは想像に難くない。しかしなるようにしかならんと、Let it beの哲学で苦難を乗り越え生き切った人生であったこと。そして父の分までも残された母を気遣っていくので見守っていて欲しいと話を閉めた。慣れていないので当然つまりつまりの話しぶりだったが、滔々と話すより返って会葬者に届いたのではないかと思っている。私が立派だと思われるより、父なりの立派な歩みが届けばそれ以上の息子としての願いはない。
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