日本は役所に行っても、わからないところあれば懇切丁寧に教えてくれる。葬儀も行ったことはあってもやったことはないのでどうなるものかと不安だったが、葬儀社が一から十まで親切に教えてくれて選択肢を出してくれて、全てははいかいいえで応えれば事足り、まさか喪主の挨拶の定例文まであって読み上げるだけでいいとは思わなかった。ある程度の費用さえ出せば至れり尽くせりだ。その分自由度は失せていて、私がどうしたいかではなく世間一般ではどうなのかを基準にして私を合わせていく必要がある。アメリカの役所はそれはそれは冷たい。建物も冷たいが人も冷たい。アメリカに行って先ず運転免許証を取る為に免許センターに行くのだが、こいつは英語がわからないとなると扱いが雑で罪人に対するのと変わらないなと思った。しかし更新の為に何度か行ってみると、英語がわかろうがわかるまいが関係なく丁寧に扱われたことは一度もない。日本人が犯しやすい過ちだが頭を下げて下手に出ると相手は横柄な態度を取ってくる。ふんぞり返るくらいな姿勢で大きな声で話すとそれだけで向こうの態度は変わってくる。体格がない分多少にも体重多めの方が確実にいい。役所だろうが裁判所だろうが、ビジネスの交渉事であっても主張した者勝ちが罷り通っている社会だ。しかし我儘を通せるのではなく主張するなら納得させる必要はある。すべてがこちら次第な分自由度は高くなる。世間一般の基準などないし、だから自分を合わせるのではなく先ず自分の思うところを立てる、信念を立ててこそ前進できる。どちらがいいとは一概には言えないが、日本は言いたいことが言える社会ではないだろう。自分を合わせる社会なのか自分に合わす社会なのか、合わせることに長けた日本人が世界に羽ばたけば、どこでも重宝がられるし確実に角が取れて平和な世界になっていく。
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