献身して人生を捧げてきた一世の多くは、人生を捧げると同時に自らの生命をも捧げることにも躊躇しなかっただろう。み言葉をどの程度理解していたかどうかに関わらず、成約信仰を持つにあたっては初恋にも似た熱情が燃えていた。独生女信仰を持つ食口に、教会初期の熱情的衝動に似た想いを持っているのかどうか、御母様御母様と祈祷する多くは二世食口だと思うが、今の御母様の状況に対して一世達の初期の切実な想いがあるだろうか。独生女信仰に移行(?)できている諸先輩の多くは、論理と言い訳だけは返す言葉もでないほど長けてはいるが、彼等こそ熱い想いは感じられない。少なくとも私が接する一世に関してはそうだ。しかし摂理を牽引していくのは二世達だし、御母様も二世に期待をかけておられていて一世に対してそれはない。だから一世が何を言おうが放って於けばいいだけのことなのだが、老いて力もないのに前面に出ようとして自説を広めるのは摂理を歪める。一世は御母様と二世に対して申し訳ない一心の想いのみであって、二世に対して上から目線でどうこう語る内容も立場もない。一世は摂理の願いに対して大失敗した自覚をしっかり持つべきだろう。解散問題も御母様の収監もその原因は一世のしでかしたことにあるわけで、二世でもなければまして御母様でもない。御母様に対して進言の一つもできなかったのは、御母様に対する畏怖の念からではなく、後でとやかく言われたくないという無責任から進言を避けてきた。御母様を親とは見ず役所の首長ぐらいにしか思ってないから、責められ怒られるかもしれないことに敢えて口出ししようとはしない。食口の多くは神輿担ぎでイエスマンだし御父母様の前で言葉を述べるとなるとおだて持ち上げる言葉しか並べない。一世達が御母様を裸の王様に仕立て上げてしまった。
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