2026年1月25日日曜日

今日の想い 1444

久々に妻と喧嘩した。人生の殆どを妻と共に歩んできて、一度か二度しかしたことはない。派手であっても乾いたものであれば後に残ることはないのだろう。しかしうちは違う。一度始まるとどこまでも長雨のように尾を引くことは分かっているので、喧嘩したくてもできない。天の祝福だと思えばこそ踏ん張ってきたのだが、時間が解決できないものもある。この年になって思いのたけをぶつけるとは思いもしなかった。溜息をつく部分はあっても敢えてそこをえぐることはお互いにしなかった。私にすれば一体放った言葉の何が彼女に引っかかり、怒りの導線に火をつけたのかさっぱりわからない。それがひと月も前の話であって、未だに燻るものがあるらしく、その言葉で傷ついて病になったとまで言い放つので流石に声を荒げるしかなかった。その言葉に嘘偽りがないとするなら、彼女は大病して透析を始め身体的な多くを負っているけれども、今の今までひとりで病気になりひとりで闘いひとりで生きていると思ってきた節があるということだ。夫婦として家族として同じように、いやそれ以上に、自分としては彼女以上に思い悩み闘ってきたつもりが、その自覚はどうもないらしい。それとも私自身に自覚が足りなかったということだろうか。もう終活を始めてもいい頃なのに、この時期になって夫婦とは何だ、家族とは何だという課題を今一度差し出されるとはどういうことだろう。夫婦であっても結局は東の果ての男と西の果ての女で、形だけでも一つになった風を装って人生を終えるのだろうか。もちろんどれほど、心が離れていると自覚しても夫婦の形を壊すことはない。今更そんな勇気も時間も私にはない。覚束ない展望としては愛でひとつになるのではなく、なんとか慰め合って寄り添える位置にまで持っていけるかどうか。そんな私の感情は置いておくとして、冷静に考えるとどうもおかしい。思いも寄らないところで逆鱗に触れたり、頑な、を通り越した思い込みに憑かれている。もしかしたら、、という不安が胸の内にもたげてきて、、ああそんな先々は触れたくもない。

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