2011年8月28日日曜日

今日の想い 361

真の家庭の様々な問題を御父様がどのように説明されておられるかは、2000年11月、ハワイで語られた父子協助時代宣言のみ言葉の中にある。概要を述べるとこうなる。再臨主が来る前までの女性は血筋を正す役割があり、サタンが手を付けることができる子供に母子協助することで反対を受け、天使長の位置にある男性は全ての女性を蹂躙してきた。母子協助から父子協助へと言うのは、御父様が子女が生まれたために真の父として立たれ、母が子を助けて血筋を正す蕩減的内容から、(真の)父が直接子を助けることができるようになったということだ。神様を中心とした真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子娘たちはサタンは手を付けられず、変わって真の父が直接手を付けることができ助けることができる。真の家庭に様々な問題があったということは、サタン世界にいる祝福家庭たちが責任を果たせなかった為であり、御子女様たちはどんなに誤ったとしてもサタンとは関係がない。よってこれを収拾し解決することが父子協助として御父様はできる。その為に御父様は聖人たちと悪人たちを祝福し、地獄と天国を崩す権限をもって真の家庭圏内の傷も赦される。と、大体こう言う内容として私は理解したが、私にとっては難解な御父様のみ言葉なのでそれぞれに読んでみて確認して欲しい。しかし赦されてそれで良しとされるのではなく直系の子女としての難しい路程があることもはっきりと言及しておられる。このみ言葉で先ず私が理解すべきことは、私達は表面的なことだけを捉えてああだこうだと言っているが、御父様は確実に背後を見通され、私達には見通せない幾次元もの霊界に通じ、神様とサタンとの遣り取り、取引をされながら摂理を進めておられると言うことだ。疑心で目が曇らされてしまえば、どのようにも避難できるしどのようにも解釈できる。批難一辺倒の者に対して敢えて説明しようと思わないし、説明すべきでもないだろう。すべての解決はみ言葉にあり、本人自身にあると言えるだけだ。

今日の想い 360

地震の次はハリケーンだ。東部海岸沿いをハリケーンアイリーンは北上している。ワシントンはチェサピーク湾を挟んで外海の大西洋から100マイル内陸に位置している。店や私のアパートは更に50マイル西に入っている為ダイレクトには影響はないが、それでも雨量は半端なく、朝からの雨が日を越して明日一日降り続くようだ。店もアパートも建物自体は古いので、雨が続くといつも雨漏りに悩まされる。雨漏りは天井の裏だから相当量水が溜まるまで気が付かず、漏り始めるとたらいをひっくり返したように雨水が落ちてくる。それでもランチ開けで客が引いた後だったので良かったが、下手すると客に雨水の洗礼を浴びせることになりかねなかった。今回はこの地域に強風が吹かないだけ有り難い。風が強ければ確実に停電する。一度停電すれば復旧に二日や三日はかかる。そうなると営業が出来ないこともさることながら、冷蔵庫や冷凍庫の在庫が全部駄目になってしまう。アパートのリビングも雨が漏っている。安普請で備えられたサッシの隅から、侵入した雨水が窓枠の桟を打つ。壁板の背後を伝わって滲み出た雨水がフロアーの絨毯を濡らす。絶え間ない雨漏りの音を聞き、絨毯のシミが広がっていくのを見ながら、田舎のあばら家で吹き込む雪に煩わされていた、子供の頃の当時の情景を思い出した。早めに処置すべきだという認識は一方で持ちながらも、五十を超えアメリカに住みながらもあの頃と同じように外部からの侵入物に煩わされているのが可笑しくて笑えた。どれほど人生の問題に悩もうと、どれほど内的霊的問題があろうと、日常は溢れる生活の対処事項に追われながら過ぎていく。でも生活上の些細な事柄であっても、そのひとつひとつが万物との関わりの中で万物を愛する行為でもある。子供のオムツを替えたり嫌がる子を風呂に入れていた煩わしさが恋しく思われるように、最近は生活の煩わしさが愛おしく思えてくるようになった。店でも毎日何かはある。下水やトイレが詰まることも度々だし、エアコンが効かないフライヤーのバーナーが働かない水が漏れる、、次から次へと対処すべきことが起こって終わることはない。でもそれは子供のように駄々をこねる店としての愛を求め愛の証しを求める表現だ。手を尽くした分だけ、愛した分だけ、私は愛の主管性を復帰する。

2011年8月27日土曜日

今日の想い 359

私の中には漠然としたものであってもみ言葉に照らした善悪の基準があり、その基準から外れないように意志として行動に働きかけている。私達は今まで、特に献身制度の上で原理、非原理という言い方をしてきたが、それは原理圏、非原理圏というすみ分けであり境界線を引くものであり、原理圏が善で非原理圏は悪であるという基準を備えたということだ。献身制度という隔離された状態から少しずつ境界線が取り払われ、私達は非原理圏に生きており、非原理圏の価値判断を備えており、非原理圏の社会生活に浸透している。ではそれは私が悪に染まってしまったのだという言い方をするなら、私は原理圏という無菌状態に置かれない限り悪から離れられないのであり、悪を善に変える意志を備えてはいないと言うことになる。それは自由意志を備えた自由な人間ではない。神様はアダムとエバが堕落する時でさえ自由意志に任せておられる。自由意志の前に先ず善悪の基準が先立つなら、神様は裁き第一の神様であり世界は善の牢獄としか言いようがなくなる。神様が自由意志を立てられるのであれば、私も裁きの為の善と悪のすみ分けをすべきではない。真の愛に浸透された意志を働かせて、より悪に傾いているものをより善になるように働きかけて行くことで、私の内にある善悪基準は正しく使われたと言うことができる。私自身を裁くならまだしも、周りを見て裁きのひとかけらも内なる私に見出せるなら、私の善悪の基準は真の愛に浸透されたものではなく、堕落的なものに使われ堕落的なものに留まったままだ。親が子供に対する時、子供に悪の要素があるからと言って突き放すことはない。悪の要素を取り除いて善の要素に満たされるよう働きかける衝動が親の愛だ。子供は親に取ってかわいいから愛をもって接し、隣人や社会には善悪基準で裁いて突き放すなら、私は自己中心というルーシェルから受け継いだ堕落性から抜け出すことはない。

2011年8月26日金曜日

地球の胎動

ワシントンで、一年の間に既に二回の地震を経験している。今回の地震は実に広範囲だった。北はカナダのトロントから南はフロリダまで、中西部はシカゴまで揺れたらしいからアパラチア山脈あたりからアメリカ東部全域に及んでいる。プレートの断層がないこのエリヤで地震を起こす原因が何なのか。地球は今、大きな変革期にある。内的霊的なことと、外的宇宙的なこととが全く別様に動いているように思えるのは、人間の唯物的な思考と感性に拠っている。五感で見聞している今の世界や宇宙が、過去にも同じ様相であり未来も変わらず同じ様相を呈すると信じ込んでいる。天地の創造が完成した後に、人間は創造されたと信じ込んでいる。それは原理を受け入れ、御父様を信奉している食口だって同じことだ。地上天国という私達の認識はあくまで内的なことに関することだと思っており、それを踏まえた人間と人間との関係性のことだと思っている。要するに人間の心の問題として捉えている。私の中に心があると言うのは信仰を持たない者であっても理解しているが、心という非常に漠然とした捉え方ではなく、心の作用を分析して魂があることを見抜き、魂の背後に霊があることを見抜かなければ唯物主義者と差ほど変わりなく、信仰の根が深く根付くことはない。創造が始まると同時に人間の創造も始まったのであり、今の状態も未だ創造過程にあり、人間の創造も完成した訳ではない。人間の形姿の状態、人間の感覚の状態、人間の生命の状態、人間の魂の状態、現代人と古代人とは似ても似つかぬ差が有る。人間始祖アダムとエバが現代人と同じだったと思えること自体が間違っている。人間の形姿、感覚、生命、魂の様相を人間始祖以来ここまで完成形に近付けたことは、ルーシェルと戦ってきた神霊存在の恩恵だ。ルーシェルの影響をもろに受ければ、今の肉体形姿に見るような統一形は有りえないし、視覚聴覚を通して受け取るものが痛みや苦痛であるような粗雑な感覚器官と、無茶苦茶食い無茶苦茶吐くような極端な生命活動しか為しえない動物以下の存在になっていただろう。更に魂の中に良心を植え込むまでにどれほどの戦いが繰り広げられてきたことか。人類の魂に良心が植え込まれて初めて人類存在の根源を変える救世主を迎えることが出来る。人間が変革してきたように、合わせて地球も変革してきた。人類歴史が後天時代を迎える大きな変革期を迎えているように、合わせて地球も大きな変革期を迎えている。地震で揺れ動く大地を感じれば、地球再生の地球の声が私の中にも響き渡る。揺れ動く大地は新生地球の胎動だ。新生地球はこれまでの地球の在り様が嘘のように、まさしく生きた星となる。

2011年8月21日日曜日

今日の想い 358

都市空襲で焼け野原と化した日本に、更に大量の市民を殺傷する原爆を投下する必要があったのかと言う疑問や是非が論議され、アメリカが一度として非人道的なこれらの無差別大量殺人に対して謝罪もしていないし、国際法の裁きも受けていないと非難する。そこでもやはり個人的な感情が先立ち、個人的感情に引っ張られる形で言葉の遣り取りが為されても、両国間のわだかまりはより深まるばかりで何の国益も紡がない。従って勝てば官軍の言葉通り、戦勝国が善しとするものを善しとするのは当然で、敗戦国は戦勝国の言いなりになるしかないと言う諦めの気分が大方の気分だろう。しかし日本は日本としてその気分に浸っていることが日本の発展に繋がるのか。更にはエバとしての立場で摂理の期待に応える日本が、この気分の上に築城されるのか。集まった日本の食口に対してわざと汚い言葉を使われながら、必ずと言っていいほど日本への非難を直接的にされるのを耳にしていると、それが余りにも直接的であり、真の愛だろうかと思えるほど恨みがましく、それを受け取る大方の食口はそれ程に日本の侵した罪は大きいのだと結論付けてしまうけれど、私はどうしてもそこに御父様が口に出来ない日本への願いの言葉が隠されているように思えてならない。あまりにも私達の憤慨の感情を無理にでも引き出そうとされておられるようで、わざとらしさが見える。御父様はその言葉で日本の食口を試験しておられる。隷属的言葉を吐かれることで隷属的意識にある私達を気付かせてそこから抜けだすことを願われ、更には抑え込んでいる感情を吐き出させその感情を主管する私達を引き出そうとされておられる。感情を超え、感情を主管する私達となることで真の愛国者の位置を奪還し、エバは母の国としての皆から見上げられる位置を揺ぎ無いものとすべきであって、お金だけを吐き出し雑巾のようにボロボロになるだけの母の国であることを願われているとはどうしても思えない。御母様の威厳を母の国は相続すべきだ。今の状態が続く限り、ますます貰いうけ、ただ甘えるだけの子女国家群から、母を敬い母を助ける国は育たない。

2011年8月20日土曜日

今日の想い 357

終戦記念日は今年で66回目を迎えた。広島と長崎の原爆記念日も66回目となる。66数はサタン数の終結と一致するけれども、終戦66回目という摂理的意味があるのかないのかはわからない。日本は真珠湾を攻撃することで眠れる獅子アメリカを叩き起してしまい、惨憺たる状態で敗戦を余儀なくされてしまった。いろんな角度から歴史を検証すれば、追い詰められるような形でアメリカ開戦に踏み切ったようだけれども、背後にある本当の真実は復帰摂理の観点に立たなければ見えてはこない。摂理観を持って見える真実は、日本はサタン側のエバとして真珠湾を奪い取ることがどうしても必要だったと言うことだ。海は宇宙の子宮であり、エバはサタン世界で太平洋を取り囲むことが自らの子宮を得ることだった。勿論当時の中枢に摂理的意味や背後が見えていた訳ではないが、日本の背後に、日本の中心部をサタン側として動かす霊的存在が存在していた。個人の常識や良心では図り得ない、そして抗うことも出来ずに巻き込まれるしかない、所属する国家や世界の摂理的事情がある。どれほど善人で良心的な人物であってもサタン側で利用もされるし、或いは逆に、どれほど悪人であっても神側で利用されもする。個人の常識や善悪判断を超えた次元の遣り取りが摂理史上に刻まれてきたし、今の摂理でもそれは変わらない。大戦に於いて神側である連合国とサタン側である枢軸国との主権をかけた戦いで、アダム家庭でカインがアベルを殺した条件を世界的に蕩減復帰する、その最終段階としての世界的鉄槌が広島であり長崎であった。個人としての恨みがあるように国家としての恨みもある。個人として蕩減すべきものがあり国家として蕩減すべきものもある。御父様は日本の食口達の前で日帝支配を責められるけれど、それは個人を責めておられるのではない。日本を代表した立場で受けるのであれば、個人的な感情を引き出すべきではない。他国はもっと酷いことをしていると非難がましい感情を起こすでもなく、かと言って卑屈な感情に落ち込むことも正しくない。個人的感情を持ち出せば国家としての恨みも解けないし国家としての蕩減も果たせない。国を本当に愛するものは国としてあるべき国家感情を理解している。謝罪外交、弱腰外交は国の命運を個人感情という引き降ろした低級な魂に渡したのであり、そこに国への想いはひとかけらも見当たらない。

2011年8月17日水曜日

今日の想い 356

私の魂は未だに堕落の様相のままだ。食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝て、肉心の要求する享楽を満たした状態でみ旨に関わろうとするなら、意識に於いては趣味や道楽に向かうものと何ら変わりはない。趣味や道楽はやってもいいしやらなくてもいいように、み旨に対しても出来る範囲でということで甘えてしまう。自分の肉心と相談し、心の内に波風が立つことを恐れて、み旨という領域の中に深く飛び込むことが出来ないなら、結局御父様の懐の中にさえ飛び込むこともできないだろう。御父様の子だと認知して戴いても、私自身が御父様に背を向けていることになる。御父様、御父様と口にしながらその実、心を偽っていて、偽りの愛の幻想から抜け切れていない。エジプトに後ろ髪を引かれる私なら、不信の荒野から抜け出してはいない。雄々しく強く立ちあがったヨシュアを内なる私に備えるということは、私の中に決意と覚悟があるかどうかだ。飯が喉を通らない、寝るに寝れないという状況にでも置かれなければ決意と覚悟は備えられないのか、或いは能動的に自分をひもじい状態、睡眠を削った状態に置くことで決意と覚悟を備えるのか、堕落様相の魂を主管するためにはどちらかが要求される。私の魂と身体を舞台にして神霊が勝利するのか、或いは魂を占拠し続けた悪魔的霊が防衛するのか、一進一退を続ける限り勝利はいつまでたっても見えてはこないだろう。腹風邪をひくと気分が悪くなり吐き気で苦しくなる。腹の内容物を全部もどせば楽になるけれど、吐くたびに体中の力が抜けて行って吐く気力さえ出てこなくなる。そんな症状は現状の魂の内容を吐き出させ、新たな神霊による魂が芽生えるのを待つのとよく似ている。魂に棲む堕落の内容物を吐き出すことだ。それもとことん底をさらって吐き出すことだ。先ず吐き出さなければ新たなものは入ってこない。生気を失うどころかこのまま消えてなくなりそうになるけれども、その状態を内的に体験しないと魂は変わらない。今まで築き上げてきた魂の塔は内的に打ち砕かれて崩れ去り、全てを否定され全てを失った立場で、それでも清々しささえ覚えて感謝できれば、私の魂は生まれ変わる。神霊によって新たに入魂される。