2011年8月17日水曜日

今日の想い 356

私の魂は未だに堕落の様相のままだ。食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝て、肉心の要求する享楽を満たした状態でみ旨に関わろうとするなら、意識に於いては趣味や道楽に向かうものと何ら変わりはない。趣味や道楽はやってもいいしやらなくてもいいように、み旨に対しても出来る範囲でということで甘えてしまう。自分の肉心と相談し、心の内に波風が立つことを恐れて、み旨という領域の中に深く飛び込むことが出来ないなら、結局御父様の懐の中にさえ飛び込むこともできないだろう。御父様の子だと認知して戴いても、私自身が御父様に背を向けていることになる。御父様、御父様と口にしながらその実、心を偽っていて、偽りの愛の幻想から抜け切れていない。エジプトに後ろ髪を引かれる私なら、不信の荒野から抜け出してはいない。雄々しく強く立ちあがったヨシュアを内なる私に備えるということは、私の中に決意と覚悟があるかどうかだ。飯が喉を通らない、寝るに寝れないという状況にでも置かれなければ決意と覚悟は備えられないのか、或いは能動的に自分をひもじい状態、睡眠を削った状態に置くことで決意と覚悟を備えるのか、堕落様相の魂を主管するためにはどちらかが要求される。私の魂と身体を舞台にして神霊が勝利するのか、或いは魂を占拠し続けた悪魔的霊が防衛するのか、一進一退を続ける限り勝利はいつまでたっても見えてはこないだろう。腹風邪をひくと気分が悪くなり吐き気で苦しくなる。腹の内容物を全部もどせば楽になるけれど、吐くたびに体中の力が抜けて行って吐く気力さえ出てこなくなる。そんな症状は現状の魂の内容を吐き出させ、新たな神霊による魂が芽生えるのを待つのとよく似ている。魂に棲む堕落の内容物を吐き出すことだ。それもとことん底をさらって吐き出すことだ。先ず吐き出さなければ新たなものは入ってこない。生気を失うどころかこのまま消えてなくなりそうになるけれども、その状態を内的に体験しないと魂は変わらない。今まで築き上げてきた魂の塔は内的に打ち砕かれて崩れ去り、全てを否定され全てを失った立場で、それでも清々しささえ覚えて感謝できれば、私の魂は生まれ変わる。神霊によって新たに入魂される。

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