2011年8月21日日曜日

今日の想い 358

都市空襲で焼け野原と化した日本に、更に大量の市民を殺傷する原爆を投下する必要があったのかと言う疑問や是非が論議され、アメリカが一度として非人道的なこれらの無差別大量殺人に対して謝罪もしていないし、国際法の裁きも受けていないと非難する。そこでもやはり個人的な感情が先立ち、個人的感情に引っ張られる形で言葉の遣り取りが為されても、両国間のわだかまりはより深まるばかりで何の国益も紡がない。従って勝てば官軍の言葉通り、戦勝国が善しとするものを善しとするのは当然で、敗戦国は戦勝国の言いなりになるしかないと言う諦めの気分が大方の気分だろう。しかし日本は日本としてその気分に浸っていることが日本の発展に繋がるのか。更にはエバとしての立場で摂理の期待に応える日本が、この気分の上に築城されるのか。集まった日本の食口に対してわざと汚い言葉を使われながら、必ずと言っていいほど日本への非難を直接的にされるのを耳にしていると、それが余りにも直接的であり、真の愛だろうかと思えるほど恨みがましく、それを受け取る大方の食口はそれ程に日本の侵した罪は大きいのだと結論付けてしまうけれど、私はどうしてもそこに御父様が口に出来ない日本への願いの言葉が隠されているように思えてならない。あまりにも私達の憤慨の感情を無理にでも引き出そうとされておられるようで、わざとらしさが見える。御父様はその言葉で日本の食口を試験しておられる。隷属的言葉を吐かれることで隷属的意識にある私達を気付かせてそこから抜けだすことを願われ、更には抑え込んでいる感情を吐き出させその感情を主管する私達を引き出そうとされておられる。感情を超え、感情を主管する私達となることで真の愛国者の位置を奪還し、エバは母の国としての皆から見上げられる位置を揺ぎ無いものとすべきであって、お金だけを吐き出し雑巾のようにボロボロになるだけの母の国であることを願われているとはどうしても思えない。御母様の威厳を母の国は相続すべきだ。今の状態が続く限り、ますます貰いうけ、ただ甘えるだけの子女国家群から、母を敬い母を助ける国は育たない。

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