2011年8月20日土曜日

今日の想い 357

終戦記念日は今年で66回目を迎えた。広島と長崎の原爆記念日も66回目となる。66数はサタン数の終結と一致するけれども、終戦66回目という摂理的意味があるのかないのかはわからない。日本は真珠湾を攻撃することで眠れる獅子アメリカを叩き起してしまい、惨憺たる状態で敗戦を余儀なくされてしまった。いろんな角度から歴史を検証すれば、追い詰められるような形でアメリカ開戦に踏み切ったようだけれども、背後にある本当の真実は復帰摂理の観点に立たなければ見えてはこない。摂理観を持って見える真実は、日本はサタン側のエバとして真珠湾を奪い取ることがどうしても必要だったと言うことだ。海は宇宙の子宮であり、エバはサタン世界で太平洋を取り囲むことが自らの子宮を得ることだった。勿論当時の中枢に摂理的意味や背後が見えていた訳ではないが、日本の背後に、日本の中心部をサタン側として動かす霊的存在が存在していた。個人の常識や良心では図り得ない、そして抗うことも出来ずに巻き込まれるしかない、所属する国家や世界の摂理的事情がある。どれほど善人で良心的な人物であってもサタン側で利用もされるし、或いは逆に、どれほど悪人であっても神側で利用されもする。個人の常識や善悪判断を超えた次元の遣り取りが摂理史上に刻まれてきたし、今の摂理でもそれは変わらない。大戦に於いて神側である連合国とサタン側である枢軸国との主権をかけた戦いで、アダム家庭でカインがアベルを殺した条件を世界的に蕩減復帰する、その最終段階としての世界的鉄槌が広島であり長崎であった。個人としての恨みがあるように国家としての恨みもある。個人として蕩減すべきものがあり国家として蕩減すべきものもある。御父様は日本の食口達の前で日帝支配を責められるけれど、それは個人を責めておられるのではない。日本を代表した立場で受けるのであれば、個人的な感情を引き出すべきではない。他国はもっと酷いことをしていると非難がましい感情を起こすでもなく、かと言って卑屈な感情に落ち込むことも正しくない。個人的感情を持ち出せば国家としての恨みも解けないし国家としての蕩減も果たせない。国を本当に愛するものは国としてあるべき国家感情を理解している。謝罪外交、弱腰外交は国の命運を個人感情という引き降ろした低級な魂に渡したのであり、そこに国への想いはひとかけらも見当たらない。

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