2009年12月5日土曜日

今日の想い 124

深刻な問題を内に抱えているとして、頭を抱えている責任者も多いし兄弟も多い。普通の食口感覚であれば憂えるのは当然だろう。しかし我々と同じ憂える感情を御父母様も持っておられるかというと、それはちょっと違うような気がする。御父母様が親であると言うことを私達は忘れてはならない。子供が自由な存在であれば、子供自らの自由意志で親を喜ばせたい、親の為に生きたいと思うのは当然だ。何処の親が子供の自由を奪い、奴隷的服従を子に望むだろうか。御父母様も絶対服従は望んでおられるけれど、奴隷的服従を望んではおられない。子供が成長すれば親と違う意見が生じてもなんら不思議ではないだろう。どれほど頑固親父であっても、親父の意見に反して異を唱える子に対して、そこに親を思えばこその想いを見て取れば、表面的には子に怒鳴り散らしたとしても、その想いがどれほど嬉しいだろうか。ある面子供にそれだけの深い親への想いを見たくて、理に適わない言動を子に吐き捨てる場合もある。頭ごなしに怒鳴りつけながら、しかし決して子供がしゅんとなって黙って頭を垂れる姿を見たいとは思わない。本当は自分が負かされて親の面子を捨てざるを得ないのが嬉しくてしょうがない。子を真に想う真の親とはそういうものだと私は思う。皆には問題と映るのだろうけれど、御子女様には御父様を超えて欲しい。御父様を超えてこそ御父様は安心されるはずだ。私には微笑ましくも思えるし、より深くより高い新たな心情の次元にワープすることを信じて疑わない。無機質のピラミッド的組織や関係は、そこに心情の入る隙間が無かったとしたら、それによって作られる世界はどれほど寒々しい世界だろうか。真の愛主義であり心情主義であるという世界観を私は誇りにしている。それは無機質を有機質に変え、花を咲かせ実を実らせる。上に喰ってかかったとしても、御父様への深い想い、兄弟食口に対する想いが背後に熱く流れているなら、それも当然あっていいと思う。

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