2009年12月28日月曜日

上下前後左右

一日の歩みを終えて振り返りながら、内的霊的にどう整理し、そして整理することで自分の位置を確認する必要がある。位置確認は基準となる位置があってこそ確認することができるが、御父母様が立っておられる位置こそその基準点であり、御父母様の位置からの方向性や距離を知ることができる。前が何処であり後ろが何処なのかがわからない限り前には進めない。今の私には、遥か前方上位に立っておられる御父母様を認識してこそ下の位置が決定し、上下が決定されると前後左右が決定される。肉体的な位置感覚を持ち身体の前面に目が付いて、地上の感覚世界をカジ取りする事はできるとしても、内的霊的位置感覚を知らずに内的霊的に存在しているということは、地上に於いて平衡感覚や位置感覚を無くし青盲のままで行動することと同じだ。霊的暗黒の只中で佇みながら不安と孤独に襲われている自己を認識する者に取って、御父母様の存在を知らされることは途方も無い福音である。しかしながら多くの兄弟に取って自分なりの御父母様の認識を良しとし、その認識に多くの誤謬が含まれていることを無視したままで歩むなら、決して良い結果にはならないはずだ。一日の行動をひとつひとつ心に思い起こしながら、そしてその行動に付随する感情の動きをありありと復元しながら、報告祈祷を供える事で整理も出き位置も確認できる。時の流れに任せ成り行きに任せて、何処に辿り着くかも知らない1日1日の延長を見るともなく見届けるのではなく、良心という羅針盤でしっかり内的霊的位置を確認すべく就寝前の瞑想祈祷をなしながら、天によって配慮され起こる事柄を、愛の贈り物という神事として受け止めることができる。とても甘受することなどできないような苦い良薬を、神事として感謝できる自分になってこそ霊的高次への階段をステップアップしながら御父母様という人間理想、家庭理想に近付いていける。生きて起こる全ての事柄に、全ての経験に、取るに足らない些細な事柄であっても、私に対する深い深い天の摂理が働いている。今日一日をどう位置づけるかで、明日の方向性への意志を持てる。

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