2009年12月23日水曜日

今日の想い 126

謂れのない怒号と煽動を浴びせられる。孤独の中に打ち震えながら内臓がよじれるような感情を覚えるけれど、受けるべき定めならどのようにも甘受しよう。誰もが我関せずの態度を取り、自分ひとりが立ち向かうとしても、誰かに幾らかでも負ってもらい共に立ち向かってくれる期待感を持つべきではない。御父様が孤独の絶頂に立たされながら、あらゆる犠牲を払って一筋の道筋を示されたように、御父母様の息子であると断言できる位置を、このことを通して勝ち取ろうとしているのだ。しかしながら私は決して一人ではない。押し寄せる絶対善霊を背後に控え、私の決意と覚悟に合わせようとしてくれている。どれ程の罵声を浴びようとも、私の内側にまで波立たせる程の作用は不思議とない。ちょうど防弾ガラスに護られて対峙しているのに似ている。そこには御父様が口を固く縛り、目を見開いて私の前で仁王立ちになって庇いながら立ち向かう様を私は見なければならないのだ。御父様が道なき道を開拓された、その道なりに生きている。信仰の度合いと逆説的に、対峙するものは現れる。ゴリアテのように巨大に感じたとするなら、自分の信仰は風に吹かれて飛んで行ってしまうほどにおぼつかないと悟るべきだ。孤高の道と言うものがどんな道だろうと問うなら、あらゆる敵対する魂を前にして、逃げることなく、或いは前もって逃げ道を塞いだ状態で突入することだと、今の自分には言うことができる。逃げたければ逃げることもでき、それ故に逃げ回ってきた過去の自分を知っているけれど、もはや逃げ回っていてどうにかなるものではない事は、流石の私も悟っている。怯える気持を必死で押さえながら、決意と覚悟を声を大にして宣言することで、待っていたように勇気が注入されていく。

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