2009年12月31日木曜日

今日の想い 128

訓読会のお言葉を受け取りながら、御父母様に最も近いと思っていた私達が、実は何もわかっていなかったと言うことが明らかになったような気がした。確かに神様に対する御父様の願いとして、60億人類を一人残らず天国に連れて行くべきだと思われて当然だろう。御父様の内的霊的勝利基盤は確固たる基盤であり、活動する私達の実力や条件如何を問わず天国は約束されている。しかしながら土地も材料も用意されているけれど、家を建てる方法や時間は私達に委ねられているにも係わらずその私達が何もわかっていないと言う事なのだ。わかっていないから一つ一つの作業までも御父様に頼ろうとしている。傍で呆然と立ち尽くし見ているしかない私達は一体何なんだろう。堕落や罪に対する理解を問われれば原理用語を並べて説明できるだろう。メシヤの必要性もそうであり再臨主もそうであり、全ての疑問に対して説明できるかも知れない。だからと言って60億人類の魂を動かす存在になり得るだろうか。私達に社会経済基盤があり見せて誇れるものでもあれば、関心を向けるだろうし魂への働きかけがそこを通して為されていくかも知れない。しかしながら私達にはそれも無い。見せて誇れる証しが立っていないのだ。自分の中にみ言がみ言として力を発揮すれば魂への変革が為されるはずだ。知に対し情に対し意志に対しての変革が為されるはずだ。現状の指し示す意味はみ言を魂に働きかけるほどには受け取っていないと言うことだろう。おそらく堕落や罪に関する実感も、イエス様がもたらした救いに関する実感も、遥かに特定の宗教やクリスチャン達の方がずば抜けているだろう。私達が、この世の何も解らないし生きる自信も無いが何とかここなら生きて行けそうだからここに来た、と言う者達の寄せ集めで終るとしたら、御父様の知と汗と涙の代価は余りにも大きすぎる。兄弟達の頑なで干からびそうな魂を蘇生するには個の力では無理なのかも知れない。御父様が神様の権限としての審判の刀を抜いて、その魂に突きつけられショックを覚えて初めて、み言の力が及び蘇生されるのかも知れない。

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