2009年12月5日土曜日

OX に対する考察

アダムとエバの養育者として、どうして天使長ルーシェルが立てられたのだろうか。そもそも人類始祖に対する養育とは一体何なんだろうか。私達はアダムとエバの実情も霊的存在の有り様も、アダムとエバに対する養育というその意味も把握してはいない。心魂の目で見るということが理解できずに、この世的外的な概念しか理解する能力を持たなければ、その意味するところを理解することは無いだろう。外的な概念でイメージできる、私たちがそう捉えているそれらの意味は、象徴的な理解にしか留まらない。み言の意味するところを真に理解した者であれば、ルーシェルを養育者としたのは間違いで、誰か他の天使にしていればこのような悲劇は起こらなかったろうと言う様な、たわいも無い、無知も甚だしい意見が飛び出てくることは無いだろう。ルーシェルを一方的に悪者扱いしてはいるけれど、ルーシェル存在がいなかったらそもそも人間という存在は発生してはいない。人間という魂存在の根幹を担ったのがルーシェルであり、神様の実体対象という、自由存在としての自我を植え付ける過程で間違いが生じたはずであり、しかしながらルーシェルが関与しなかったら人間は動物の種族の一つでしかなかったろう。自分が自我存在であり、自我存在として魂活動を為し得ているのは、それが神様の意に適う適わないは別としてルーシェルの働きが為されたことを証明している。人間という存在が自我をもった存在である、即ち人間存在にルーシェルが関与していると言うことを紐解いてゆけば、御父様が話されるOX理念を捉えることができる筈だ。人間はルーシェルの関与を通過せずしては人間存在として地上に現れることは無い。しかしルーシェルの関与を通過すれば必然として堕落本性を備えてしまっている。この解決できない矛盾を解決するために来られたのが救世主であり、その使命を引き継がれたのが再臨主である。地に堕ちてしまったルーシェルの星である自我、そのX存在の中にO存在は内在できない。しかし真の父母の真の愛、そのO存在の中でルーシェルの星である我々人間存在の自我、X存在は神様の実体対象として光輝くことができる。
(あくまで個人的考察であり否定されて当然です。私の妄想以上の何物でもない唯の日記です。)

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