2009年12月26日土曜日
審判式
何一つ妙案が浮かばない状況で、それでも必ず護られ導かれると言う強い信仰を備えるべきだろう。外的なものは全て内的霊的なものの影であると捉え、外的事柄に決して翻弄される自分であってはならない。まさしく今私は神様からもサタンからも試されている。御父母様の分霊を戴いた自分であり、であればこそ御父様の代身なのだと声高に霊界に宣言してこそ、御父母様の勝利圏は相続されるだろう。絶対信仰を備えて、全ての霊を焼付け精誠を込め、目の前の事柄に入魂していく。過去の自分や今現在の自分がサタンの血統圏に縛られて呻吟していたとしても、御父母様によって新生した新しい自分は確実に私の中で大きく成長している。私の中でのこの天地がひっくり返る大変化を、地上に縛り付けられた肉的な自分は感知できない。内的霊的この大変化を、地上的事柄への現実以上に感知できる霊的感性を私達は備えることができる。真の御父母様から放射される真の愛を真の愛として受け取ることができる力を私達は既に与えられている。真の愛を受け取ることができれば真の愛を放射できる。それこそが外的地上的なものや内的霊的なものの全ての能力の根源要素となる。宇宙は既に大変革を遂げようとしている。御父様と一体となった新生した私が主体なのか、或いはサタン主管圏に縛り付けられてこの世の道理とサガに生きる旧来の私が主体なのか、人それぞれがそれぞれに於いて判断を迫られる時がすぐそこに来ている。先ずは祝福を受けたものからその判断は迫られるだろう。ふたりの主人に仕えることはもはや許されない。これこそが審判の時であると言えるだろう。祝福を受けた者であれば、この審判の時を待ちに待った時として喜ばしく迎えるべきなのだ。心と体が闘い続けた幾星霜の魂の歴史に終止符を打つ内的霊的儀式を、神様とサタンが見守る中で遂行される。
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