2009年12月30日水曜日

新生人類

この押し寄せる激痛を受け止めながら、受け止めることで嘆きや悲痛を重ねるのではなく、受け止める毎に内的霊的創造の気運を高めるのだ。この身体に激痛が走れば走るほど、私の気運は高まっていく。それ故にこの痛みが有り難い。御父様が打たれて奪ってくる天の方策を私達に示して下さった様に、如何様にも打ってくれと言い放ちながら統一勇士の誇りを持って受け止める。打たれるときは思いっきり打たれるべきだ。悪魔の笑みを持ったその痛みの正体は、私から嘆きの全てを引き出そうと、長く鋭い爪を突き立てて背中の肉片を抉り取る。今年も終ろうと言うこの時に、このタイミングで打たれることの意味を問うことに意味は無い。私に取っては打たれてこそ御父母様と共に歩むことなのだと言う謙虚を再度確認させられ、御父様の栄光を受け取るのではなく痛みを受け取ることを許された私への信頼こそが感謝であると、謙虚と感謝でこの痛みを受け止めてこそ私という統一勇士が自分の中に生きている。そうでありながら、もはや受け止める痛みの向こうに光を確認している。私に押し寄せる忌み嫌う全ての仕打ちは、実のところ御父様が勝利されたオブラードがかけられ、直接的に私に作用することは無い。悪魔が自由にその力を直接的に行使するなら、私の魂は当の昔に吹き飛ばされ粉々にされ、宇宙の藻屑となっていたはずだ。御父様の勝利圏、真の愛の影響圏内に私があることは紛れも無い事実なのだ。新しい年は私達の年だ。真の愛を呼吸できる私達の年だ。たとえ堕落世界に接して浸透している魂の部位が残っているとしても、魂の大半は真の愛の中で呼吸できる真の新生人類なのだ。

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