2011年8月4日木曜日

今日の想い 352

ラスベガスに事業関係の責任者を呼ばれて叱咤され分別されたように、アラスカ、コディアックでも同じように事業関係の責任者に詰め寄られて分別された。ラスベガスの時にはまだ御名前を口に出されることはなく、取り囲みの者達のみを糾弾されたが、今回ははっきりとその御名前を口にされて指弾された。組織は組織として下は上に従う構造が既に出来ている。組織の運営権を握ったものが組織のオーナーの意に反した行動を取るなら、組織の構造上皆がオーナーの意に反することになる。オーナーは御父母様であって、それ故にその組織を発展させることが御父母様の願いに応えることと同意であった立場が、今はその組織の中に存在すること自体が御父母様の願いに反する立場となってしまった。ではその組織から抜け出すことだけが願いなのか、組織を通して積み上げてきた内外の財産を皆くれてやって飛び出せば御父様は喜ばれるのか。今、教会の中に、神様が天地を創造され反逆者が現れて地上の神となっていった経緯と同じものを見ている。これが御父様を実体の神様としていただく教会として必然なのかどうなのかはわからないが、どうすることもできないと静観するわけにもいかない。その組織に所属する食口達は、今の状態が続く限り反逆者に加担した立場から逃れることはできない。それぞれは自分に非があるとは誰も思っていないだろう。しかし自分に非がないから何もしなくていいとするなら、個人のことだけを思い全体のこと御父様のことは無視し続ける罪を我知らず重ねていくことになる。その組織からすぐ出るようにという指示が出るまでは、サタン側という汚名を戴いたままでも組織の中で戦うべきだろう。戦って取り戻すのでなければサタン側という汚名は消えることはない。はっきりしていることは教会側であれ反逆者側であれ、過去の自分の功罪の是非故に今の立場にいると捉えれば発展はないのであり、未来の栄光を先取りして超えるべく今の貶められた立場にいると捉えることで未来を創造していく。御父様は或る時点で急に全てを剥奪され、貶められた立場を強要される。全てを否定された痛みの立場を甘受させることで、個人的にも全体的にも、内的にも外的にも、次元を上げた創造過程に入っていく。それは御父様御自身が通ってこられた道であり、御母様にも強要された道であり、そして私達もその道を歩んでいく。地獄の底を舐めない者は御父様の息子娘として認定されることはない。

0 件のコメント: