2012年11月11日日曜日

今日の想い 490

基元節まで100日を切ろうとしている。御父母様に繋がる食口としての意識がある者は、基元節を迎えることで何らかの思いもよらない事態に突入していくことを感じている。基元節を越えて存在できるかどうか、それは外的体としてではなく内的霊的存在としての私が基元節を越えて立ち続けることができるかどうかと言うような事態かもしれない。今は混沌の只中にある。かつて多くの人間になるべき心魂が地球と共にあった。しかし混沌期を越えることができずにどの心魂存在も地球から去っていった。唯一残った心魂存在がアダムとエバだった。よってアダムとエバは人類始祖となり得た。アダムとエバを先祖の起点にする地上の人類は、堕落人間でもあるけれどもそれ以前に混沌期を通過して居残った人類でもある。ここで初めて明かすけれども、私はひとりの神智学徒でもある。シュタイナーを通して私のみ言葉への認識や理解は大きく変わった。それまでの私のみ言葉に対する理解は実に外的表面的なものだったと言える。シュタイナーは先の人類始祖の事柄を宇宙記録(アカシックレコード)を遡って霊視している。それは丁度受精に於いて、億の精子が淘汰されていって唯一つの精子が卵子とひとつになる過程と似ていると私は思ったし、後になって御父様が神様の精子の話しをされたことで、更に私の中でその話が事実であるという確信に変わっていった。神様と大宇宙にとっては御父様は混沌を越えて残った真の種としての精子であり、御母様は真の卵子であるとも言える。そう言い切ってしまうと誤解を生じかねないが、御父母様に対する認識の一つの側面でもある。御父母様を通して神様の精子が受精する。アダムエバに於いてはエバが堕落してしまった為にアダムも堕落し、神様の精子は受精できなかった。しかしこの基元節をもって神様の精子が受精される。御父様が勝利宣言をされたのであり、御母様も勝利の位置に立たれたことを御父様は明言されておられる。御父様が基元節の前に聖和されるという驚天動地の事態が起こり、私はその事実をどう受け取っていいのか混乱し通しだったけれども、肉体を持たれない御父様であっても基元節を迎えることができ、神様の精子が授精されるのはその通りだろうと思われる。今まで様々な摂理を立てて来られ、様々な勝利宣布が為され、その都度儀式が行われてきたが、全ては神様の精子が受精する為の道のりであり一里塚であり、そしてその受精の瞬間を基元節に見ようとしている。そして昼の神様は目に見える形で活動を始める。