2012年12月14日金曜日

今日の想い 502

この虚しさをどう埋めたらいいのだろう。時だけが否応なく過ぎ去って、惨憺たる現実だけが重く横たわる。誰に責任を問えるわけでもなく、ただ泣き叫びたい。できるなら自分を痛めつけたい。時として私は信じられないほど落ち込んでしまう。現実が私を裁いている。息子が、娘が、妻が、私の前を、後を、横を通り過ぎる。でも決して私を前にして立ち止まることはない。ただ通り過ぎることで私の存在を否定する。一緒に食事もする。話もする。冗談も言い交わす。しかし誰も心の奥は開かない。心の奥に関心も持たない。堕落意識、罪の意識に目覚めている訳でもなく、そうであれば、真の愛という光の意識が芽生える訳でもない。祝福家庭の形だけを維持するこの家庭が神様にとってどれほど恨めしいだろう。神様にしてみれば輪郭だけの虚しい家庭。私と彼らに死の実感がなければ、この輪郭を生だと認識したままでいる。輪郭はただの幻覚に過ぎないのに、輪郭をもって満足している。もし私が彼らの目の前で死をもって輪郭を突き破るなら、彼らの目は覚めるのだろうか。死を差し出すことのショックで、魂は生き返るのだろうか。そうであるなら、私は何の躊躇もなくこの命差し出すだろう。御父様は聖和されたけれども、私は地獄に落ちる死をもって彼らの魂を喚起するだろう。恨みと絶望と歯がゆさで、そして育んだなけなしの愛で、彼らに付きまとい彼らを常に喚起し続けるだろう。祝福家庭にとって二世の問題は、私が地上にいる間だけの問題ではない。霊界に行けば更に切実な問題として、地上に関わり続ける必要があるだろう。私の祝福への過程があり、更に祝福を受けてそのまま祝福の実体になれないように、二世であれ三世であれやはり祝福への過程があり、更に実体への道のりがある。現実はどこまでも残酷だ。私が描いた、たとえそれがみ言葉によるイメージであったとしても、そのユートピア的な偽りの理想世界を崩されながら、この現実の残酷さの中に愛の何たるかを見つけ出し、与えられる理想世界ではなく、私が私の手で私の理想世界を築き上げていく。そうせざるを得ない。御父様の勝利圏とは、その相続は外的なものではなく、どこまでも内的霊的なものに違いない。