2012年12月26日水曜日

今日の想い 510

自分の感情はどれほど弄ばれてもいい。どうしようもない。今のこの感情をどう主管しようにも、新たに次から次えと訳のわからない感情が押し寄せてくる。感情活動が停止しない限り、私にとって平安は無縁なものだろう。2012年が暮れていく。クリスマスとも思えない暖かな穏やかなこの一日、いろんな霊がその抱えたものを持ち寄って、感情の波となって次々押し寄せる。私はなすがままにされるしかない。抗う術(すべ)もない。おそらく私は、このひとつひとつの感情を味わいながら、霊達は負い切れない抱えたものを降ろしていくのだろう。ひとつふたつなら代わってやれる。しかし一度に来られて背負いきれるものではない。クリスマスであればいろんなプレゼントをもらって喜び、感情はしばしの停戦を迎えるはずなのに、頂けない重い感情を受け取りながら、私はどう感謝したらいいものかと途方にくれている。2012年のクリスマス。御父様が聖和されたばかりのクリスマス。その現実の状況を知りながら、プレゼントをもらってはしゃいでいる方がおかしいと言えばおかしいだろう。感情の荒波に翻弄されながら苦しむだけ苦しめばいい。弄ばれて傷だらけになって、涙が枯れてしまえばいい。痛みが引かないこの左足をどうしたいのだろう。腹痛を訴える妻を更にどうしたいのだろう。おろおろする私をどうしたいのだろう。孤独という名の友がいて、私が生まれたときから付き纏っているこの友は、歓迎されぬ知り合いの霊ばかり呼び寄せながら、私をさらに孤独にさせる。解怨されたはずなのに、未だに気配を感じるのは、ひょっとして孤独という名の隣人は私自身なのかも知れない。私という存在が孤独そのものかも知れない。誰からも距離を保とうとし、家族さえも私は距離を置いているらしい。子供が妻がそうしていると思ったけれども、実は私自身がそうしているらしい。私はどう変わればいいのだろう。どう変われば、御父様の御心情のひとつでも、胸の内に迎え入れることができるだろうか。悔い改めることもできない忌まわしい私は、どこまでも弄ばれるしかない。クリスマスの夜に霊達が押し寄せる。