2012年12月25日火曜日
今日の想い 509
御父様が怒気を露にされ口にされることさえも、それは御父様の本心ではないと言う。おそらく子供に出て行けと父親が怒鳴りながらも、それが親の本心ではないからと思うのと同じ感覚のつもりだろう。側近の正しくない報告を受けられて判断せざるを得ないことも含めて、御父様には御父様もその時点ではわからなかった事情があるのであり、霊界では全てが明らかになってわだかまりが解けるはずだと信じているのだろう。心の中では釈然としないものがありながらも、御父様の言葉に対して形だけ動じ静ずる中心者や食口をして、御父様に侍っているとは言えないと思っているのだろう。しかし私はこの心魂と生命をかけて明言する。彼らに自覚はなくとも、自分達こそが絶対信仰だと思わされて操られているサタン的確信犯に違いない。彼らには彼らを操っている存在を認識できない。良心に従った自分の意志だと思い込んでいるからだ。自主性というけれども、地球上で何らの主管も受けていない人間は誰一人としていない。何らかの霊的存在が私の心魂に、意志に関与している。彼らが自分が良心だと思っているものが、どういう霊的存在が関与し主管しているかを見届けるほどには祈りもとめてもいないし、心霊の部分に関わろうともしていない。御父様にどこまでも着いて行って、霊の深みにまで降りて行って自分の根源を問い直す作業をすべきところを、彼らは中途で止めてしまって心魂のステージに留まっている。彼らは人道的道徳的倫理的な位置で理解する御父様を御父様としている。それらの位置を凌駕する膨大な神霊に関わる部分に足を踏み入れることを止めている。彼らのみならず、誰もが自分の本当の良心によって自分を裁く局面に必ず出くわす。そのとき彼らは御父様に対する拭い切れない罪をどうやって清算するのだろう。後孫に清算させる場面がどれほど見るに耐えないものであるか、想像にかたくない。御父様の御子女様だからたとえ間違っていたとしても結局は許されるはずだと、安心しているのかも知れないが、天宙をひっくり返したサタンは元々サタンとして生まれたわけではない。神様の全信頼を受けてアダムとエバを預かった位置であり、アダムに取っては叔父であり、もちろん神様の愛を一身に受けていた位置にもいた。御父様に対する御子女様も同じように愛される位置にあることを忘れてはならない。