2008年10月7日火曜日
逃走記 2
玄関辺りの物音が途絶えエンジンのアイドリングの音が耳に入る。ふかしたエンジン音がゆっくりと遠ざかるのを確認しながら起き上がった。散らばっている兄弟達の足を踏まぬよう細心の注意を払い戸口まで移動し、物音を立てぬよう引き戸を開ける。上体を起こした者がいないことを確認するとゆっくりと戸を閉めた。身を返すと直ぐそこは玄関だ。夜目にも判る様、下駄箱の左下隅に作業靴に隠れるように用意した自分の革靴を仕込んで置いた。落ち着くように無理にでも動作に余裕を持たせた。玄関の戸はどれ程慎重に開けても音は発する。であれば体がすり抜けられる幅まで一気に開けたほうがいい。面白いほどに事が運び、ついに私は念願の圏外の身になった。それが何の意味かは考えないようにして、しかし確かに境界線は越えた。駅まで足を速めた。深まった秋の明け方、冷気に身を割り込ませながら、開放感に包まれていた。その興奮に心躍らせながら乗車券を購入しホームに流れ込んだ列車に足を踏み入れる。落ち着いてきたのかやっと周りの景色が目に入ってきた。無表情な通勤族が視線を宙に浮かせて発車を待っている。薄手のジャンパー一つで飛び出してきたが結構みんな厚手ものを羽織っている。聞き取れない車内アナウンスの後、笛が長めに構内に響くと列車は滑り出した。乗換駅を確認して座席深く座りなおした。望み通り車上の人とはなったが、親元の所に取り敢えずは帰るにしても、それ以降のことは全くの白紙状態だった。列車に乗るまでが開放感に浸り興奮の極みだったようで、落ち着いてみるといろんな思いが錯綜し始めた。本当にこれが自分の願いだったのか取り返しのつかない選択をしてしまったのか、いつのまにか開放感はそのまま不安に取って代わった。今まで自分が思うてみても居た堪れないほどの心の責めを浴びてきた。口を割らぬ者が拷問に耐え切れず、我意識せず口に出してしまうように、それほどに切羽詰ったものが自分の中にあったことは事実で、或る意味口を閉ざし応えてくれない神様への最後の自分の抵抗の態度とも言えた。行動に対する負債はかけらも無かった。ただ、自分なりの精一杯の内外の苦労が全く報われなかったと結論づける自分が悲しかった。一言の天の慰めを期待すれども黙して語られる事は無かった。涙が後から後から流れて止まらなかった。袖口で拭いながら、ティッシュを用意しなかったことは唯一計画ミスだったと思った。
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