2008年10月7日火曜日
逃走記 3
車窓からいろんな景色が飛び込んでくるが、それを楽しむ余裕は全く無かった。自分が消え去ったことはすでに皆の間の周知となっているだろう。朝礼で自分のことはどう触れられたのだろうか。朝食の場で話題の中心となり笑われているだろうか。そんな想像が内面を行き来しながら、何処までも何処までも落ち込んでいった。どんより曇るか雨でも降ってくれれば、自分は不自然なく、その景色と調和し、それが今の自分の居場所となれるものを、、。しかし空は青く澄み渡っている。青い空が余計に自分を孤独な感情に追い遣る。否定的な思いや感情が内面をことごとく蝕みながらも、しかしまだ許される道が途絶えたわけではないという叫びがその下に息づいていることも解っていた。遠くない将来に目を遣っても、教会と全く関係の無い人生をイメージする事はどうしても出来なかった。職場で親元の連絡先はわかっているはずで、数日の内に連絡が来るはずだと言う期待もあった。電車を乗り継ぎ、さらにバスに乗り継いで、久しぶりの故郷に足を着けた。田舎はやはり寂しいところだ。バス停で待っていてくれた父の軽に乗り込んでやっと家まで辿り着いた。家では早々とコタツが出されていた。母は私の顔を見るなり目を伏せながら、コタツにあたってゆっくりするように勧める。母の目に光るものが見える。元気を装って帰ってきても何を思っての事かぐらいは親子であれば察しはつく。祖父の症状の悪化は度を増していた。痩せこけ、布団の上に上体を起こされた祖父は、自分の見覚えの或る祖父と比べて半分に満たないほど小さくなっていた。痴呆も進み、久しぶりの孫の顔を見ながら声にならない声で笑っていた。笑いながら涙をぼろぼろこぼし始めた。居た堪れなくなった。申し訳ない思いが堰を切って溢れだした。くしゃくしゃになった祖父の顔を見ながら、上司に許しを請うてでも再びみ旨に身を預けることをその時決めた。どれ程力なく弱い自分であっても、この祖父の魂を救い親の魂も救えるのは、み言を受け入れたこの私しかいないと思った。祖父や親に対するこの想いを封じ込めてまで逃げて暮らすことはできない相談だった。田舎に帰って二日して連絡があった。「上にはちゃんと説明しておくからゆっくり休んだら帰るように、」上司の声だった。
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