2008年10月22日水曜日
天の店として
レストランはひとつの統一体として、どういったリズムを全体として奏でているかを見る必要がある。店の造りにどれ程資金を投入しても、その雰囲気が全体から見て浮いていれば返ってマイナス作用が働く。立派な店を作りはしたが、従業員がその雰囲気に合わずギクシャクして、それに振り回されるようでは主客転倒だ。従業員の配置、客の配置、従業員の動きの流れ、全てにバランスが取られ全体的な流れがスムーズで、場所によって配置が偏ったり動きが堰きとめられるようでは宜しくない。談笑しながら落ち着いて食事をしている客をイメージしながら、それに合わせて照明の強さを調整することも必要である。カウンター内オープンキッチン内の従業員の動きやノイズまでも客に取ってサービスだと言えるほどに全ての従業員が客を意識していること。メインディッシュを最も大切なものとして扱いテーブル上にゆっくり配されるとき、客の驚きの視線を感じ小さいため息が漏れるのを受け取りながら食を供えるセレモニーとしての敬虔さを添える。どれ程忙しい時間帯であっても最低限一言添えることを忘れたくない。本来なら素材の説明、料理法、如何にシェフが心を配ったか等、くどくならない程度に伝えることが大切だ。そういった全ての事がレストランに於ける食への付加価値である。投げるように配された膳と恭しく丁寧に配された膳の味がまったく違うように、店の隅から隅まで心を配った分、付加価値は高まる。それらの内容は別に我々の店に限らず全ての店がその程度の認識は持っている。或る意味文化的生活から距離を置いた我々のほうが無頓着で客に与え喜んでもらおうとする直接的感性は鈍い。実力に於いて追い越せ追い抜けと、この世を目標に歩んできた事業に携わる我々ではあるけれど、それはこの世に迎合することを意味してきたのではないか。この世を目標に置く以上この世を凌駕することは出来ない。天の願いを受け御父母様の代身として我々が携わる事柄が、そのまま御父様が携わる事だという深い認識を持つことを第一義に置けば、事業の在り方も違った表現方法になるのではないか。我々が経験し接する人々に対する御父様の一期一会の想いを強くすれば本当の在り様に近づけるのではないか。それには我々の持つ愛の容量度量を増やす以外ないだろうし今まで気付かなかった愛の領域へも触手を伸ばし新しい世界観を提供することが必要だろう。決して経費削減にエネルギーを消耗させ売上増に躍起になって取り組む事に新しい世界への道は繋がっていない。今のような経済の混乱期であればこそ、今まで気付かなかった或いは気付く必要がなかった事柄に焦点を当てる事ができる。とにかく本物しか生き残れないし生き残るべきではないのだ。整理される時が来たのだ。自分も店も御父様の手足であり御父様に取ってこの世との接点にあるとの認識は持っているけれど、本当の意味で御父母様に繋がっているかどうかが問われようとしている。真の父母に繋がり、真の愛の支流となり、真の愛の花が咲くように。
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