2008年10月28日火曜日

今日の想い 21

天国がそこまで来ているのを、内的霊的にふつふつと実感として感じえているか。今の今、その息吹を感じられないとしたら、御父母様と同じ世界にはいない。太陽から届く真の愛の光で身を沐浴し、真の愛の空気で胸を膨らます。真の愛の水で細胞を蘇らせ、真の愛の土に育ったものを肉とする。自分と言う、小宇宙に張り巡らされた神経は、み言葉の真の生命で再生され、小宇宙を循環する血液は、真の父母に繋がる真の血統を刻印する。対象物と自分の間を悪魔の勢力が支配し、太陽から来る太陽本来の放つものを受け取る事はできなかった。空気も水もその本来の与えるものを人間は受け取れなかった。肉体の感性で受け取る全てのもの、自分の肉とする全てのものから本来の神の愛に満たされたものを人間は受け取る事ができなかった。ものをものとして捉えると、いつまでも本質は自分に届かない。その元素的存在の内的現われや、形ある物をかたどる内的存在としての霊を見る。その霊を妖精と呼ぶこともあるが、熱には熱の霊が存在し、空気には空気の霊が存在する。水の妖精に感謝を捧げれば水は柔らかく甘くなる。全てのものや事柄の背後にあるものを見ようとすることで、その本質に向き合おうとしている。今まで気付かなかった見えないものが届き、ある時はまだ見ぬ真理を教えられ、またある時は愛おしい気持ちを抱く。そのような本来の受け取り方を学び始めると、漆黒の在り様をしていた内面は、色とりどりの色彩に彩られる。愛の花が咲き乱れ、春爛漫に装った宇宙に様変わりする。それこそが、閉じ込められてきた霊の開放であり、開放された霊は新しい次元に昇華し歓喜の歌を奏でる。受け取る全ての事柄を昇華させながら内面の宇宙に蘇らせる。本来の受け取り方を知る真の人間であればこそ、食される事を万物は喜び、手を通して加工されることを好む。それが霊や妖精たちに取っての開放なのだ。既存の概念を払拭し、真の愛の本来の概念を理解する事を深め、万物を前にして真の愛がどう関わっているかを見ようとする。

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