2008年10月26日日曜日

創造過程

天宙の生成は熱状態時期、気体生成時期、液体生成時期、そして固体生成時期を経、物質への凝縮を可能としてあらゆる生物が生息できる地球記に至る。しかし今我々が概念として持っている熱で当時の熱の在り様は想像できない。気体に於いても液体に於いても固体に於いてもそのようで今の概念で捉えるのは無理がある。人間を含め全ての存在の原因的存在、その内的現れ、その対象表現となっているのが天宙生成過程のそれぞれの在り様だ。無理は承知で、熱の在り様を表す内的な状態とは何か尋ねてみる。自分の中に熱を感じる時とはどういう時だろうか。熱い思いとはどういう状態だろうか。そう尋ねていく時、恐らく天の内的な在り様、即ち想いに対して通ずるものがあるはずだ。人間的感覚で熱があるとは言いようの無い切望感であるとか物事に打ち込み集中する状態だとか初愛の想いだとか、そういった止めれぬ衝動を言う。神に似せて人間を創造されたのであれば、天宙生成に一貫して言える事はそう言った想い衝動を持ち続けられた、そういう意味で熱状態にあったと言える。では何を求めて投入され続けたのか。愛の対象を求めての止められぬ衝動だった。人間という愛の対象を求めた、それこそが天宙生成の唯一の理由だ。愛の対象としての極致を求めて人間を創造された。人間を創造するために気の遠くなるような一つ一つの創造段階それぞれに完全投入され続けてこられた。天宙生成過程の如何なる創造段階も人間創造の為に必要だった。気体生成時期に於いては気体的なものと光的なものとが生成される。神様の人間創造の想いが、即ち熱が、霊体及び霊界形成の霊的要素、肉体及び地上形成の物的要素の更なる要素として、光要素気体要素を神様の二性性相に似せて創造された。液体生成時期には液体的なもの音的なものを創造され、固体生成時期には個体的なもの磁気的なものを創造された。気体的なもの液体的なものを現在の気体液体と認識する事は間違いで、五感で感知できる創造過程等無い。創造されたからこそ五感で感知できるのであって感性悟性を超えた領域であり、現在の限界的認識の人間がその様相を把握しようとするなら想いによる認識が最も近いだろう。受け取った贈り物に送った人の想いを見、贈り物を受け取る事で想いを受け取った事を感じるように、呼吸する空気、受け取る空気に神様の想いを心に感じ、水に触れ水で喉を潤す時、水の体内に浸み込む過程を感じながら浸み込む神様の想いを受け取る。取り巻く環境の全てに、目に映る創造物全てに、そして愛の直接対象としての一個一個の人間存在に、神様の想いを見ようと探求し続ければ、想いである熱を、打ち震える熱状態を自分の内に経験する。

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