2008年10月14日火曜日

今日の想い 16

内的在り方、即ち魂の在り方に於いて人間としての理想を何処まで高く掲げられるか。理想的在り方に対する飽くなき追求こそ生きている意味であると認識して行動、思考、感情全てをその認識で浸透させる。その認識で沸き立つほどに行動に熱を持たせ、理想が内なる法となるべく思考を結晶化させ、感情領域が自分と言う枠を飛び越え世界を包む。個としての理想イメージをイエス様が確立されたように、御父母様は家庭理想を確立された。神様が、人が一人でいるのはよくないと語られるように家庭が最小単位となる。家庭理想が掲げられる事で、個としての理想が理想足りうる。神への志向意志が自分の中にあるかどうかは創造理想を追求する思い入れが自分に在るかどうかだ。み言の一つ一つに、天のお父様の息子としての自分本来の理想をイメージでき、そうありたいと切望する熱いものが内なる中に燃えているか。燃え盛る炎としてのみ言を自分の内に宿さない限り、生きて働くみ言とはなりえない。み言を辿る時、その生命を受け取る事が出来ない、その本質を受け取ることが出来ない悔しさを覚えながら、それこそ悪魔の魔法にかけられ獣に姿を変えられ、神の言葉の理解できない自分であることに対して憤りを覚えない限り、魔法のバリアを突破することはできない。あまりにも容易く目の前に広げられたみ言を、容易さゆえに上辺だけをなぞり、それが自分と世界はおろか天宙をも変えるみ言であることに不信を抱き続け、真の意味でみ言に出会うために40年を費やした。しかし大きく迂回路程で40年を越えた今、我々は本当に準備できているだろうか。兄弟一人一人の内なる世界にみ言は燃え盛っているだろうか。神の理想、御父母様の理想をしっかりと捉え切望しているだろうか。天の時計は刻々と刻まれている。我々が消え去ろうともみ旨は完遂される。

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