2008年10月13日月曜日

霊の本質

人間は二つの状態を行き来している。ひとつは意識圏、今ひとつは無意識圏。起きている状態と眠っている状態。意識圏は物質界に於いて肉的五感と覚醒状態の思考を通して感知し関わっている。眠っている間は五感で物質的感覚を受け取る肉体から抜け出し霊界の入り口付近で守護霊に護られながら存在している。無意識圏が無意識圏である理由は人間が意識できる状態が非常に限られたものであるからで、物質界の荒い状態をのみ意識できるほどに人間の感性は限定的なものとなった。意識するしないに関わらず、地上界で様々な経験(見聞を含め)を通してあらゆる霊を受け取っている。物質と言えどあらゆる物はその霊的本質の表示体であり、霊的なものが見える形となって現れている。唯単に見たり聞いたりする物や事柄であっても、感覚を通して受け取ったと言う事は霊を受け取っている。人間間のやりとりや社会での関係性はより複雑な霊を受け取っている。受けた霊に対して唯物論者は何もしない。受けるばかりであらゆる霊に押しつぶされながら生を送る。本来受けた経験を自分の内なる中で感謝なりより高次的な思考や情や創造意志に昇華されるべきで、地上界の全ての霊は人間のこの働きをして霊的高次の霊に結晶されるのを待っている。それが本当の意味の万物主管だと思う。あらゆる万物はその霊的在り方を人間を通して高められる。高められた霊を集める事の意味するものはより愛のある人間存在と言える。人間の一生を通して地上生活に関わる事で、より深いより広いより大きい愛の理想を自分と言う宇宙に作り上げ集めている。肉体を脱ぐとそこに住むというよりそれが私の在り様そのものとなる。物だけを信じて生を終えた者は死後、受けた霊を昇華できず物質に留まる霊の重みに押しつぶされ霊の恨みに翻弄される。生きている間、霊から護ってくれていた守護霊は生きていればこその守り神である。護られている間、即ち生きていればこその地上に於ける愛の学び愛の訓練に他ならない。

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