2008年10月18日土曜日

今日の想い 18

より大きな事業に手を着けたいのは解る。それが天の願いだと言われれば、興奮して我を忘れて飛びつく。ビジネスチャンスは確かにあるだろう。摂理の要求でもあるだろう。天が微笑んでいる今を逃すことは不信仰だとの責めがあるかも知れない。しかし手さえ付けて置けば後は霊界が働くなどと言う魔術的なことを信じるのはどうかしている。霊界はそのようには働かない。そういう霊界の捉え方はここに無いものを一瞬で現せと念ずる黒魔術で、我々の内的な内容に働きかける霊界ではなく外的なものに目に見える形で働く霊界を信じる物信仰にある。要するに宗教的唯物主義だ。イエス様は奇跡を使い目に見える霊として現されたけれど、その奇跡ゆえに条件を無くしたと語られたみ言葉があったと思う。お父様はそのような手法で我々に霊界を示されたことは一度も無い。事が成るにはそこに到達するまでの段階を一つ一つ越える以外ないのだ。大きな話を持ちかけられその度に失敗している様はサタンにすればどれだけ滑稽で天の面目を殺ぐものであったか。苦労に次ぐ苦労を重ねながら紙一重ずつの復帰を重ねる一方で、これが自分の使命だと狂信して大枚を投じ一瞬でぼられる。我々の幼さ馬鹿さ加減も数十年を重ねて流石に経験としてインプットされるものと思いきや、相変わらずその体質は変わらない。信じて飛びつくのはいい。飛びついたのならそれが一つの形になるまであらん限りの精誠を尽くすべきだ。それだけの覚悟が無いのに手を付けるのは本当の意味での責任意識、責任心情に欠けている。霊界が我々を飛び越えて直接的に物事に働くなら、我々の存在意味は無い。訳のわからないお化けのような自分の勝手な霊界概念を捨て、霊界の意味するところを本質的に捉え、この自分という存在の思考、心情、意志にこそ霊界が関わる或いは霊界を関わらせるのであり、理解を超えたものが目の前に現れるのではない。一つの課題を与えられて自分の中に自信確信が持てない限り手を着けるべきではない。関わっている内に見えてくると説得され、それで入っていくならそこに投入される内外の投資に対して、完全なる責任を負う覚悟を持って深入りしていくべきだ。既に我々は大きな負債を内的に抱えている。み旨だからと言う言葉に呪文をかけられて関わったものの、中途で投げ出した多くの摂理に対して莫大な負債を抱えている。我々の認識のないその負債を誰が清算するのか、御父母様に全てを背負わせながらそれに対して他人事のように新たな事業や事柄に頭を突っ込む。

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