2010年12月8日水曜日

故郷について考える

瀬戸内海に面する辺りは、紅葉の時期を過ぎても、未だ色付きをまとった木々が町の並木にも見えるし、洲を囲むなだらかな山々にも見届けられる。しかしバスに乗って北上し、県境近くの山間まで来ると、麓も山も裸の枝が寒々と晒されている。人影もない死んだこの一帯に、主人を失った家々が点々とする風景は、捨て去られ、忘れ去られた虚しさに沈んでいる。この私の田舎の何処に希望があり、何処に美しさがあるのか、それを見出せないと言って誰もが先祖の血と汗が浸み込んだこの村を離れていく。土地整備がされる前はこの地一帯が湿原で、杜若が群生しこの地にしか生息しない動植物も見られたらしい。今では湿原らしいところは猫の額ほどしかない。この村を何とか活性させようと、この湿原を保護したり、範囲を広めようとしたり、杜若の繁殖に手を加えたりと、ここ数年手をかけているようだが、少なくとも十年を超えないと成果は見えてこないだろう。しかしそうなってどうなると言うのだろう。日本のいろんな過疎地で人目を惹こうと躍起になっているが、日本中が総観光地化しても意味は無い。私を含めてここで生まれ、ここで育った者がこの地を愛せないと言うのがそもそもの問題だ。産まれ故郷は私の存在の原点だ。私が存在する意味はこの原点に返らない限りは見えてこない。存在の原点を否定してしまって、喜びを求め幸せに暮らしたいと思うのは存在の矛盾だ。善いも悪いも私を私たらめたものがそこにある。私の意識できない本質がその地に産まれることを選び、そしてその地のあらゆる内外の環境圏が私を育てた。この地の人々に共通する、引き受けて蕩減し欠落したものを取り戻す命題があり、過去の路程で復帰されて取り戻したものがこの地の人々の在り様にどう反映しているのかも解ってくる。私とこの地が繋がれた宿命的なものがあることを悟るなら故郷に背を向けることはできないはずだ。この地を捨てずに生き続けた両親を見るなら、この地の蕩減を背負って生活し、この地の恵みに護られて生活してもいる。この地を捨てた者達はこの地とこの地に生きる者達に大きな負債を負っている。誰もが環故郷しなければならない。もつれにもつれた糸を解こうとすれば、逆の経路を辿りながら解いていかなければならない。私という霊的にもつれた存在を解怨して、神様の元に帰っていこうとするなら、血筋である先祖を無視することは出来ない。先祖とは切っても切れない故郷も無視することは出来ない。先祖を解怨すればするほど、故郷を無視することは出来ないはずであり、そこを目隠ししたまま神様に帰ることができる、或いは本郷の地は韓国だと言うのは少しずれている。

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