2010年12月18日土曜日

今日の想い 234

人類を地球村に住むひとつの家族であり、神様のもとに皆兄弟だと言われれば、その通りだと誰しもが思う。しかしただ思うだけで兄弟として接し、兄弟として行動するわけではない。自分の中でぼんやりとした理想はあるにはあるが、他人としての認識で満足しているのに理想を追う理由がないからだ。教会に最初に足を運んだとき、お互いをさん呼びではなく兄や姉と呼び合うことに新鮮さを覚えた。食事を共にし寝起きを共にしお互いの内情まで分けながら、血の繋がった兄弟以上の兄弟関係があったし、その兄弟の一員になりたかったのも献身のひとつの理由だった。今思うと気恥ずかしくなるほどに兄弟誰もが純粋で、その純粋さだけでみ旨に邁進した。生活の上で原理非原理というすみ分け感情が分別という言葉のなかに組み込まれ、自らに問うこともなくそのすみ分けを受け入れ浸透させていたのも純粋故だった。純粋という瑞々しい魂が信仰を受け入れみ旨に走りみ言を伝えようとした。共産主義に心頭していった多くの若者も、この純粋な魂がお互いを同胞と呼び合い共産革命に走らせている。方向性は違うけれども両者とも同じ魂のステージだったと言うことだ。お互いに共通するその感情魂は初恋に似ている。訳もわからず惹かれ心を焦がしていく。しかし初めての恋心に酔いはしても酔いはやがて醒める。酔いが醒めてしまって惰性的に歩む期間が続いてきたが、そこからが本当のみ言の力を受け取れるかどうかだ。惹かれるという感情に動かされて兄弟になるのではなく、兄弟意識を私から創り上げていく。創り上げていく力、即ち兄弟として愛する力は私がどれだけ愛されているかの認識に依る。私が本当に愛されていることを知って、信じて、実践しなければ愛の力は出てこない。復帰された当時の教会の兄弟感情を懐かしむのではなく、家庭に於いても教会に於いても、そして他の人々や職場に於いても、私が湧きいずる愛の源となることを願われてもいるし決意もすれば、愛の源泉の源泉である御父母様から与える愛の何倍をも受け取るだろう。今日の行う事柄に、対する人々に、愛する想いを混入させて、神様のもとの人類一家族、ONE FAMILY UNDER GOD の言葉が私の内面で日増しに生気を溢れさせれば、自ずと善霊を呼び寄せ、善霊は人々を惹きつける。

0 件のコメント: