2010年12月15日水曜日

今日の想い 233

湿気を殆ど帯びない粉雪が強い風に舞い上がり、水銀灯のオレンジ色の鈍い光を僅かに浴びて、陽の届かない闇の底で踊っている。半時間もすれば薄い陽の光が届けられるはずだが、低く沈んだ灰色の雲が垂れ込めて、闇が腰を重くしているのを幸いに、闇に踊る霊がその姿を現している。雪にもいろんな表情がある。光の霊が雪をまとうことで光の本質を表すこともあれば、闇の霊が雪をまとって闇の本質を表すこともある。私の中の良心が母神の笑顔で私を慰め慈しむこともあれば、鬼となって私を苛ますこともあるように、、、。この良心を友とし師とすることを決意しようとするなら、自由を取り上げられてしまうと思ってかまえる。良心の前に立ちながら、私は自由を抱え込み手放そうとはしない。この自由への執着が、ルーシェルから受け継いだものとして血の中に流れていることを知っている。しかしそれでもX存在として生きる為には自由は必要なのだ。生きる為に自由が必要であり、しかし自由への執着が私を地の底へ引きずり込みもする。確かに私は自由の使い方を知らないでいる。自由が創造をもたらすことよりも、自由が自己中心的な意志に使われてしまっている。太陽の陽を見ることは今日はないだろうと諦めて、暗いうちに裏の開き戸を開けると、出てきた私を脅すように強く冷たい風が粉雪を私の頬に投げつける。それに構わず朝のうちにやるべき事をひとつひとつ確認する作業に意識を向けはしたが、寒々しい光景から学ぶものを受け取れずに重い感情の中から抜け切れないでいる。大きな飛躍には大きな試練が伴う。試練の中に飛び込む勇気を備えた者だけが、飛躍の為の翼を手に入れることができる。その道理がわかっていながら私はあいも変わらず躊躇する。水に飛び込まなければ泳ぎを学ぶことが出来ないのに、水に飛び込まないまま泳ぎを学ぶ方法を探している。訳のわからない私のこの恐れが諸悪の根源だ。確かに願いを受けてみ旨に向かおうとすれば、必ずといっていいほどこの恐れが顔を出す。この恐れの正体を暴いて立ち向かうことを、遠い過去から背負ってきた蕩減すべきものとして私は負っている。

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