2010年12月7日火曜日

創造性

神様が創造されたように人間も創造すべき存在なのだ。供えられた創造性を働かせることで人間の意志活動が為されていると言える。創造は真の創造であり、善の創造であり、そして美の創造だ。創造意欲を掻き立てることと為に生きることとは同義のはずだ。人間に取って、御父様は宇宙に備わっている私達の知らない真理を示して下さったと言う認識以上に、御父様は新たな真理を創造されたという認識の方が正しいと私は思っている。御父様は真の父母を創造され、真の家庭を創造され、真の愛すら創造されたと言える。真の愛という概念も認識もかつて無かったのであれば、真の愛と認識されるものを新たに創造されたと言っても決して過言ではないはずだ。御父様が真と名の付くあらゆる概念を創造されたように、その真の概念をもって私達は善の創造を為すべきなのだ。御父様は私達に対してこの世的善悪の基準をもって測られることは無いと見ている。私達が判断する善であるか悪であるかを超えて、”御父様の真”に殉じた善の創造が私達の務めとは言えないだろうか。善の創造を善の追求と言い換えてもいい。そして為に生きるという言葉を受けて新鮮さに欠けるなら、心情に身を焦がすと言い換えてもいい。御父様が私達を苦労の上に苦労を負わすのは、天の心情を私達の胸のうちに燃やすべく苦労の痛みを恨として覚えさせ、そこから生じる噴煙の衝動こそ善の創造の力となる。だから私達食口にすれば御父様の名の元の苦労こそが最大の宝なのだ。そして宝の持ち腐れではなく、善の創造の力、或いは美の創造の力でもいいが、創造性を発揮してこそ祝福を受けた人間として証を立てることができる。

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