2010年12月9日木曜日
今日の想い 231
既に天と地はひっくり返って真逆になっている。天地が地天になっている。御父様は昨年2009年に行われた戴冠式、金婚式、五十五周年記念式を中心として百十周年の起源を創造された。全ては対になっている。地球に於いては夜と昼が対になり、人間に於いては眠りと目覚めが対になっている。天宙の創造過程に於いて霊の創造が先であり地上世界である肉の創造が霊の創造にタイアップしている。御父様を中心として今までの歩みは霊の創造であり、これからタイアップする実体的な肉の創造に入っていく。それは夜の期間を通過されて昼の期間に入っていくと言うことだ。夜の期間に通過された勝利の布石が、八の時を描くようにタイアップ、相対となって昼の期間を通過されていく。個人個人の救い如何に関係なく夜の勝利の布石がその通りに地上に実体化されていく。個人主義的堕落的な位置に固執すれば吹き飛ばされる。先ず世界が勝利の布石のままに動かざるを得ないのであり、であれば国もそれに合わせざるを得ないし、国に所属するであろう家庭もそれに合わせざるを得ない。よって堕落圏に固執し続ける個人は存在すら否定される。それがこれからの五十五年の意味だ。人間で言えば朝目覚めてこれから昼の一日を送る出発点にあたる。昼の一日の出来事は夜の間に決められている。御父様と共にある教会も、今までは神様と共に霊的創造期間を歩む高次の霊的存在の位置にあった立場から、地上界創造に具体的に関わる創造主としての神様と共に創造に関わる立場を周到していく。そこに夜の神様、昼の神様という言葉を御父様は使われる。霊的イメージとしては認識できない言葉も論理として成り立つのであり、未だに霊的に鈍い私達もせめて論理で理解して、御父様について行く者にならなければならない。堕落的見方は一面的であり、創造過程も歴史路程も直線的時間の流れとしてしか認識できないが、御父様の見方は堕落的なものとは根本的に違っている。勝利され刻印された揺るぎ無いものがどのように地上に実体的に展開されるかを見通しておられる。御父様にとって時間軸の謎は光を充てられて明白なのだ。
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