2010年12月20日月曜日

2010年を振り返る

今年も逝ってしまう。去年の暮れは年を送って迎える気持ちの余裕もなかった。重いものを抱えながら、これで新年に迎え入れてもらえるのだろうかと、自分だけ置いて行かれそうな気持ちだった。今年はしっかりと気持ちを整理して新年を迎えようとは思うけれど、陰暦と言う時代霊がまわり始めたので、陽暦の締め括りをどう言う感情で送ればいいのか戸惑っている。今年に何が私の中に残り、何を刻んで来たのだろう。時間だけが早送りされたようで、やはり自分は時間に足並みを揃えることが出来ずに、乗り遅れたまま来たのかも知れない。縦的時間に取り残されず着いて行こうとすれば、果たすべきものを確実に結果として残して刻印しなければ、時間のギアは私のギアに噛み合わずに残されて行くのかも知れない。急がれている摂理のそのままに、時間は容赦なく流れ、時間を牽引しておられる御父様は最後のダッシュをかけておられて、私との距離は増すばかりだ。そうだ。私達はこのことに気付かなければならない。着いて来るなら来て、来ないなら好きにしなさいと言う言葉を口にされたのがどうも気にかかる。勿論着いて行くべきでしょう。しがみ付いてでも着いて行くべきでしょう。でも私のギアが空回りしていないだろうか。確実に噛みあわせて着いて行こうという意志のギアを備えているだろうか。皆が同じ堕落人間だと変に安心していると、取り残されることになる。今までそうだったように、あれもできないこれもできないと言うのであれば、ギアは外れている。近い将来はっきりとした階級の差が人間の間に於いても見出されることになるのは、容易に想像できる。心情の隔たりが外的要件にも現れてくる。

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