2011年4月7日木曜日
桜に想う
春の嵐が吹き荒れた後の今日は、初夏を迎えたような陽気で、日差しもかなり強かった。五割方散り落ちたものの、残された花は散って行った花の想いも受け継いだように一途に咲いている。木々の青葉の新芽を見届けるまで、咲き続けて春の霊を誘い続けるのが桜の花の存在意義であり使命とも言える。春が来たから花が咲くとも言えるけれど、花が咲くから春が来るとも言えるはずだ。主体対象間に於いて与えて受けると共に、受けて与えてもいる。春の霊が桜の精霊を呼び起こせば、目覚めた桜の精霊は春の霊を慕い続ける。春の霊はますます宇宙の彼方から、満開の桜に誘われてその愛に酔いたいと地上に降りてくる。可憐で一途な桜の想いを無視することは彼らには出来ない。嵐が吹き荒れても、その一途な想いが力となって簡単に枝から離れることはないし、その姿勢を見届けて無視するほど、彼らは堕落人間ほどに愛に疎くはない。春の霊が愛に誘われて地上に押し寄せたから地上は一気に春の様相で、今日のこの陽気になった。自然の愛の物語は私が目にする至るところの背後で繰り広げられている。目にしているものはその結果に過ぎない。彼らの愛の物語を聞いて欲しいと、地上の精霊達が心を赦すほどに私の愛に対する感度が備えられるなら、全ての万物は愛おしくもその霊の姿を現すようになる。何とも少女趣味的に思われるかも知れないが、私達はそういう繊細さを備えなければならない。繊細であればあるほど大胆になれるからだ。極と極は相通じるようになる。優しくなれればなれるほどに本当の強さを受け取る。優しくもか弱い桜の花びらは、私達が知らない本当の強さを差し出してくれる。桜の散り行く様を潔しとする日本の精神は、実は犠牲になる力を桜から受け取っている。今、統一食口はそれを受け取るべきで、日本の精神を失った今の日本人達に受け取る器は用意されてはいない。
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