2011年4月30日土曜日

今日の想い 300

霊的感性を本当に育てようとするなら、外的環境を意識から排除しょうとするのではなく、逆に外的環境の中に溶け込むように入り込んで、自然や体験が私に語りかけるのを待つことが大切だ。進入するものを遮断しようとする私という輪郭を対象物に溶け込むほどに柔らかく希薄化させて、正しく問いかければ、彼らはあらゆる霊的知を差し出してくれる。私に霊的感性が育っていないのは、その輪郭ゆえに地上という感覚世界に住むと同時に霊界という霊的感覚世界にも住んでいる事実を受け止めることが出来ないからだ。その証拠として私の輪郭の外にあるものの多くを関係性の無いもの、敵対するものとして受け止めている。すべての存在物、私に対する対象物はその霊的背後を備えている。霊的背後という本質を差し出すためにはそれだけの関心と親和性をその対象物に持ち、私自身も素直に謙虚に差し出さなければならない。地上という感覚世界とは相容れない霊的感覚世界が対峙しているのではなく、大きな霊的世界に組み込まれ包まれるような形で感覚世界は存在している。この地上世界に様々なXとしての存在様相があって、それぞれが存在原因である霊的背後を備え、更なる背後を追求していけばその究極のゼロ地点に辿り着く。ゼロ地点は無ではなく無限大の陽性陰性を内包している。ゼロは無ではなく、無限大の計り知れない原因を内包しているという意味でOという記号を冠する。加減乗除の話を御父様がされるとき、ゼロは無という既存概念を認めておられないし、マイナスからプラスへの通過点がゼロという直線的二次元のみに限られる数値理解を超えたものであるため、加減乗除は間違いだという話になる。加減乗除を受け入れる存在であるということが、霊的感性を排除する存在であると共に、唯物主義的であり利己的存在だと言い得るのかもしれない。外界の本質に溶け込めない私の輪郭はこの堕落的思念で作られている。心と体は今日まで戦い続けてきた。その戦いが実感できないなら肉心に翻弄されていて自分の心すら確認できてはいない。戦い続けてきた心と体の間の深い谷間を埋めることで、この輪郭を突き破ることが出来る。この輪郭を突き破って私の霊的感性を開放する。

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