2011年4月17日日曜日

今日の想い 292

この世の栄華をあの世に持って入れないように、どれほど花々に埋もれ色彩溢れる景色のなかで生活したとしても、花の美しさにある本質を受け取れなければ、私の内界に花は咲かない。外界では、誰からも見届けられず、それでも精一杯の美しさを差し出し咲いて枯れてゆく野の花を、むしることもできるし踏み付けることもできる。愛でることもできるしいとおしむこともできる。私がどんな態度をとりどう取り扱おうとしても、花は花としてそこに存在している。しかしそこに存在してはいるが、私の中にも同じような花の在り様が存在していると言えるだろうか。どんな状況であっても精一杯生きることの美しさを差し出す、野の花に負けない意志を備えているだろうか。私の中に存在させて花を咲かせなかったら、花が咲き乱れる地上という外界に身体を持って生きている意味は、花に関する限りは学んでいない。地上を生きた生を終え、霊界に赴くとき、私の内界に受け取ったものしか持っていくことはできない。この感覚の世界そのままに、霊界に於いても一様に同じ世界が広がっているかのような印象を持っているけれど、花を咲かせる内面の力をもって花を存在させ、東西南北への広がりをつくる内面の力をもって移動できる空間を存在させ、この世を照らすことのできる光源体となってこそ霊界は明るくなり、即ち十二対象の愛という内面の力を備えて、霊界に於ける十二の真珠門は開かれ自由に往来し自由を得ることができる。この地上には霊界生活の為の全ての教材が揃っている。今日には今日の周囲に広がり刻々と変わる事情圏環境圏が私の教材だ。柔軟な内的態度で接すれば、体験する全ての事柄が私の内面の力を育む媒介となる。悶々ともし、もがきもする鬼に押さえつけられているような人生の暗雲路程も、悩み苦しみの多い分だけ学んで受け取る内的力も大きい。新しい世界創造、宇宙創造のために必要とされる内的力を育むべく、御父様と共に歩む路程が生易しいはずがない。全人類の悩み苦しみを背負う覚悟と決意が必要だろう。御父様と一体となってみ旨を歩めば、新たな世界、新たな天宙を創造建設しておられるみ旨に同参した立場であって、天国という御父様の新たな宇宙は私の宇宙でもある。御父母様を慕い侍ろうとするその意志の力を養うことで、私の中に花が咲くのを見、私の中で枷が取れたような自由な広がりを見、私の中に朝日が差し込んであまねく届けられる光を見る。

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