2011年4月12日火曜日

今日の想い 289

マルコ伝13章32節に、その日、その時は誰も知らない。天にいる御使い達も、子も知らない。ただ父だけが知っておられる。気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたは知らないからである、とある。摂理完遂が近付くと共に戦いの絶頂期を向かえ、最後の峠を越えようとしている。しかし私達は戦いの真っ只中におりながら戦いを認識しているだろうか。全体摂理の戦いであって、個人の戦いが繰り広げられているという認識が全く無いか薄れてしまっている。これは明らかに万民の個としての戦いでもある。個という小宇宙に於いて、外的肉体的戦いではなく内的霊的さらには本質的戦いが繰り広げられている。その実感が無いなら、私は眠ったままであって目を覚ましてはいないということだ。この聖句が再臨のメシヤである御父様を知らない者達への聖句であって、私は既に目覚めて御父様を知りみ言葉を知り今のこの時を知っている、そう思い込んでいる。私達ははっきりと知るべきだ。私達は何もわかってはいない。わかっていないことを知って臨むのでなければ、御父様はいつまで経っても私の真の御父様とはならない。今の私と御父様との内的距離がどれほどのものであるか、堕落的私は私自身を誤魔化しながら御父様とのある程度の距離を置いて安住している。私流の御父様を神棚に祭って、実のところ視界の外にあろうが埃を被っていようが気にもしていない。御父様を中心にいただいて慕い侍っているという思い込みだけであって、御父様の輪郭と表情を備えた、堕落の私の妥協的な産物を拝んでいるだけだ。この聖句は実は他の誰でもない、御父様を知る私達に最も注意勧告されるべき言葉だろう。内的戦いの只中に明け暮れている私を実感し、私の中のサタンを凝視し、逃げずに戦いを勝利する為には御父様にすがらざるを得ず、み言葉で武装するしかない。その切実さを知っている者だけが本当の意味で御父様を尋ね、み言葉を受肉し、この戦いを乗り越えて勝利することが出来る。

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