2011年4月18日月曜日

今日の想い 293

貰えるものは貰おうという小汚い性根がこの歳でも表に出てしまったのか、壇上に近いほうが受け取る恩恵も大きいと、よせばいいのに前の方に席を取ってしまった。積み上げられた音響設備から空気砲のように音が飛び出してきて、私の内臓を揺さぶり心臓を刺激する。舞台の上に設置された照明器具の中には直接客席を照らし出すものもあって、時折発射される光線にさして強くは無い私の目は眩んでしまう。でもこれぐらいの刺激を若者達は求めているのだろう。周りを見回すとリズムに乗って体を揺さぶり、泣くような電気音に感情を委ねているようで、特にウェスタンや若い者達はテンションを上げている。古い者が慣れ親しんだ教会礼拝の在り様を変えるこの状況に、努力しようにもなかなか馴染めず浮き上がっている、いや一人深く沈んでしまって浮き上がれない。激しいリズムと大音響に体が揺さぶられれば、それによって魂も揺さぶられ、頑なだった感情が開いて聖なる霊を受け取れるのならそれに越したことは無いのだが、教会の狭い門戸を大きく開くことで、多くの人たちが集まってくれることを第一に願われているのであれば、伝道に繋げるべく、どういろんな社会団体、宗教団体に接触もし、宣伝もし、中心の想いの込められた音楽礼拝に足を運んでもらえるかを教会食口は考え行動しなければならないだろう。繋がっているいつもの兄弟だけで集まって、盛り上がっているのはどうも違うような気がする。自分の子供も連れて行っているけれど、何事にも冷めた態度で接する彼らは、集まって盛り上がっている他の二世達の中になかなか入っては行けない。本質的なこととは異なるので、歌って踊って楽しんでいるグループの中に押し込める気持ちはないのだが、出会いという入り口にも入って行けない自分の子供は、それはそれで大きな問題ではある。兎に角二周年ということだから、これから芽を出して成長してきた活動が実を結んでいくことだろう。繋がっている教会牧師のパワー溢れるクロージングプレイは、響いた音楽以上の響きを会場に届けて、その存在感を顕していたのが印象的だった。

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