2011年4月5日火曜日

今日の想い 285

普通、初代が基礎から作り上げて成功したひとつの会社に取って、次代への移行は最大の難関となる。跡取りが初代の業務をどれほど完璧に引き継いだとしても、それは多分に外的表面的な事柄であって、本質を引き継いだということにはならない。会社としての骨を引き継いで貰い受け、血の流れまでも先代と同じにということになるとほぼ不可能に近いが、初代がそれを望み各部署が慣れ親しんだ先代との繋がり方に固執すれば会社は立ち行かなくなる。次代への移行を成功させる為に培われた知恵のひとつは、初代の路程を象徴的にも次代に歩ませるということで、いろんな会社や組織で行われている。子会社や兄弟会社、或いは取引銀行を介して紹介された同業会社などに、言うなれば奉公させて、何も無かった初代の出発点に立って創造路程を象徴的にでも歩ませる。そうしながら外的業務に通じるようになることもそうだが、それ以上に本質的なものを相続していく。その過程を経て次代社長に引き継いだ会社は移行の成功率が高くなる。血の流れまで同じと言う訳にはいかなくても、本質が相続されれば異なる流れであっても新たな血は流れて循環していく。新たな血流は新たな時代を生き残る為に必要だ。実は宇宙創造も第一宇宙様相から第二宇宙様相、更に第三、第四様相の現宇宙まで、その都度、先代宇宙の創造路程を出発点から繰り返しながら辿ってきた。しかし辿る路程は同じ繰り返しではなく次元を上げて、即ち一の位から十の位、十の位から百の位と言う様に次元を上げて繰り返してきた。宇宙であっても会社であっても、そして家庭であっても原理原則は変わらない。次へのバトンタッチは同じ次元では引き継げない。私達は今二世の課題を抱えている。二世教育や二世への接し方を真の家庭や先輩家庭の状況から学び、あらゆる知恵を出し合いながら探り出そうとしている。二世は祝福子女として原罪のない位置で生まれると言うことの意味が理解されずに、一世である我々はあらゆる幻想を二世に抱いていて、それが更に二世教育を難しいものにしてきた。蓋を開けて見たショックから立ち直れないままで、どうしていいのやらわからない兄弟も多くいる。一世に信仰がないから自分の子供が問題なのだと、切って捨てる言い方では何も解決しない。私達は本当のところ、まだ何もわかってはいないと言う事を再認識する必要があるだろう。酒を飲んではいけないタバコや麻薬に手を付けたらいけない、あれは駄目だこれも駄目だ、しかしこれはしなければならない、我々がそうしてきたように子供達にも規律を宛がえている。何もわかっていないから自分に規律だけを宛がえ、それを護ることで安心してきた一世の在り様をそのまま二世に押し付けても無理がある。先の先代会社の次世代への移行には本質の移行が重要であるように、一世が統一信仰の本質を二世に相続させるべきだけれど、一世自体がその本質を受け取ってはいない。自分の子供は祝福を受けたと喜んでも、自分はやるべきことをやったと自負しても、それは本質とは関係が無いかも知れない。為に生きる犠牲になるという在り様が魂に貫かれているかどうかを自分に尋ねてみるべきだ。統一信仰の本質を受け取ればそういう生き方になるだろうし、規律に合わせて言われる事に合わせたとしても、欲が外的なものから信仰的らしきものに変わっただけで、結局は自己満足で終らせている。神様が願われる二世の在り様は、未来を担う二世からその芽を出すのであり、一世が口を尖らす前に未来を担って頂く二世に対して侍る気持ちが必要だろう。私が清算せずに残したものがあるなら、それは誰でもない彼らが背負い払っていくのであり、彼らに託すしかない。

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