2011年4月27日水曜日

今日の想い 297

アメリカの水産摂理は、任地を与えられた兄弟が御父様から百ドルを頂き、それを種として育てて全米を網羅する会社に成長させた。そしてレストラン摂理も水産摂理の一環として出発し、多くは日本からの資本でつくられたレストランではあったが、それだけでは願いに応えられず、全米の日本食口を集められて水産の出発と同じようにレストランも再出発した。くじ引きで任地を決められた数十人(おそらく百人)の兄弟は、レストラン開拓として種になる百ドルを御父様から受け取って出発しなおしたのだが、その願いに応えてできた店はおそらく一軒も無いだろう。そして今回、ラスベガスに於ける訓読会で御父様自らがくじを作られてくじ引きを行った。それによって決定されたことの意味の重大性を御父様は釘をさすように我々に念を押されたが、その場では受け取る風を装いながら、やはり何らかの言い訳をそれぞれが用意してしまって、言葉通りに受け取った兄弟はおそらくいないだろう。周りが見えなくて御父様と私だけという関係の中で指示を受けたのであれば、事の重大さを切実に受け取るだろうし、勿論内的戦いも激しく悶々とする期間を通過せざるを得ないのだろうが、そこを通過することで確実に新しい次元世界は目の前に開けたはずだ。しかし悲しむべきか、はたまた堕落の身に立てば安堵すべきか、中心者をはじめ居並ぶメンバーがいての一人となると、事の重大さは頭数で分散されて、さらに日本的に自分の周りを見回しそれに合わせてしまう意識が働いてしまえば責任は限りなく薄まり、まかりなりにも汗を流した自分の基盤のある所に帰ってしまうと今までと同じ毎日が繰り返され、慣れ親しんだ事情環境での生活に没頭してしまう。それぞれの魂の奥に刻み込まれた御父様の言葉を封印してしまって、受け取った事実も実存する御父様の指示もなかったかのように意識の光を宛てずに済まそうとすれば、いままでもそうだったように、更なる眠りの体制に入るしかない。そういう堕落的プロセスを辿りながら、自分の中に封印されている多くの成就されない言葉の生命がある。しかし遠からず、封印されて硬く閉ざされたそれらの蓋を開け放さざるをえない時が来る。その時に霊人体が砕け散らないように、灰を被りながら血の汗を流す切実な悔い改めを迫られるだろう。御父様に従う道は祝福と恩恵をいただける道であると同時に、自らが自らを裁く恐ろしい道であることも覚悟しなければならない。山が高ければ高いほど、峡谷の深みは地の底をえぐるほどに深いものだ。

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