2011年4月9日土曜日

今日の想い 288 (地動説に返る)

現代人は自分の存在を認識しようとするとき、外的捉え方が先ず為されて外的な存在位置を認識し、その上で内的位置を捉えていこうとする。大宇宙があって銀河系があり、更に太陽系があって地球が存在し、その環境圏故に私が存在して、考え感情し行動しているという認識だ。周囲の環境圏があってその中にポツリと置かれた私だという認識を当たり前としている。よって周りの出来事は基本的に私とは関係なく、私の思考、感情、行動に関わる限りにおいて関わらざるを得ないと思っている。しかしこの当たり前としている存在認識は実は思い込みから来ている。実感こそが現実であり、あとは思い込みに過ぎない。私という存在の位置付けを思い込みに拠って認識しているから、いつまでたっても真理を実感できない。原理のみ言葉を実感として受け取ろうとするなら、思い込みを捨てなければならない。誤解を招くことを恐れずに言うなら、地動説を捨てて天動説に立つべきだ。心を主体に立たせるなら、宇宙があって私があるのではなく私があって宇宙がある。更にその宇宙も私の実感として関わる以上の存在は霧の中であって、もし自分個人だけに関心があって自分の生活だけを実感として生きているなら、彼にとっては自分だけが宇宙だ。家庭が自分の事以上に関心があり心配しているなら家庭が宇宙だ。自分の周囲とどの程度の関わりを持っているかと言う、自分を超えて愛の関係性を持っている範囲に於いてのみ私の宇宙は広がっている。御父様があなた達は、反対になっているので南と北、東と西が分かれていることに気付かないと話されるのは、宇宙認識が観念的、思い込みであって内なる実感としてありありと捉える宇宙ではないからその意味するところさえわからない。反対にならずに私が内から外に向かう本当の宇宙認識を得るなら見えてくるはずだ。OXの話もそのように、実感のない思い込みの宇宙があって私があるというXの存在認識だけではOの概念も理解できないし、Oの中にはXがいくらでも入る事は出来るが、Xの中には、どんなに小さなOであっても入れないと話されるような内容はチンプンカンプンだ。Oという宇宙は、為に生き犠牲となることができる環境圏の拡大による宇宙で、主管できる私の本当の実感的宇宙だ。(いつも言っているように私の独断と偏見による仮定でしかありません。私の拙い仮定をたたき台にして真理へと目覚めていただければ嬉しいです。)

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