2011年4月29日金曜日
今日の想い 299
桜が散って、青々とした葉が茂り枝という枝を覆うと、既に夏の入り口を超えたようだ。蒸し暑い雨の夜が明けた朝の風景は、きのうの情景とはまるっきり違っていて、骨格が見えていた全ての木々はこんもりと緑を装っている。太陽が昇り始めると、日差しの強さは冬の閉ざされた光と違い、遮るもののない開放的な眩い光を直接に届ける。春から夏に変わる変わり目が何日の何時と言うほどに、これほどに明確な仕方で示されたことは記憶に無いけれど、それは御父様が話されるように私の感性が鈍いだけなのだろう。春の霊から夏の霊への交代式が為されると、春の霊は関与しない。季節の霊たちの交代の一瞬を感じ取れる私になれれば、自然に関与する全ての霊たちの声を聞き、彼らの感情を受け取れるかもしれない。そうして偉大な自然の力を彼らが差し出してくれるなら、生きるために働き生活するのではなく、働き生活するために生きているような、そんな本末転倒の人間様相が本来の在り様に変革されるかもしれない。青葉が朝の日差しを浴びて輝いている。全体として見ているけれどこの一葉一葉がそれぞれに生命の輝きだ。見慣れて何の感慨もなく見渡しているけれど、光合成によって取り出された酸素で生を繋ぐように、この一葉一葉から生命を戴いている。緑の輝きはまさしく生命の輝きだ。その輝きをただの外的表面的に受け取るのではなく、内面にも感謝と畏敬の想いをもって受け取るべきだ。とりわけWASHINGTONは緑の多い町で、機上から眺めれば緑の中に町並みが点在しているのがわかる。この緑溢れる生命の中に夏の間は町も人も包まれている。内面にその自然の力を受け取るなら、人間はそれを更なる愛の力に変えていく。生命の輝きを与える喜びに昇華させていく。
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