2011年4月6日水曜日
今日の想い 287
暖かい日が続いて、アパートに囲まれた庭の十数本の桜が一斉に花開いた。しかし開花した翌朝には暗いうちから冷たい雨が打ちつけ、更には強風が吹き荒れて枝という枝を鞭のようにしならせると、可憐な花びらの多くは力尽きて散り落ち、昼過ぎには薄緑の芝生をまだらに染めている。それでも夕方には薄く晴れ間も見えてきたので、この機会を逃すまいと妻と娘を急き立てて中庭に出てみた。本当は晴れ渡った青い空を背景にした、大木の下から眺める桜が好きなのだが、うす曇りで更に暮れかかっているとなると、同じ色合いに沈んで映えることはないだろう。それでも庭の中央に立ってみると、思っていたほどに散り落ちてはいなかったけれども、案の定見当通りで、枝振りのいい桜の下から仰いで見ても雲のグレイに沈んだままだ。二人を適当な位置に立たせて、カメラアングルを探して散り落ちた花びらの上を足を進めていくのだが、何とも痛々しい心持になってしまい、早々にシャッターを押して切り上げた。丸一年を超えてやっと咲かせた短い命は、自然の摂理に更に短くされて、誰の心の目にも届けられずに散り落ちていく。その儚さが伝わってきて、道端に吹き寄せられた花びらを優しく撫で集めると、両手ですくって持ち帰ることにした。五十を超えるおじさんが口にする言葉ではないけれど、風に飛ばされないよう優しく手の平で包んで持ち帰りながら、初めて異性を意識した時のような気恥ずかしさが蘇ってきてうろたえた。まさか気付かれなかったとは思うけれど、それをどうするのかと視線をよこす妻の野暮な質問には肩をすくめて見せながら、食器棚から紺色の器に水を張って花びらを浮かべてみた。これが今年の桜の花だ。この花びらの一つ一つにも宇宙の精誠が込められている。誰からも見届けられず人知れず枯れていくこの小さな花びらにさえ、数え切れないほどに重ねてきたどの春にもなく、この花びらはこの花びらにしかない精誠が込められ、創造の妙味が形となって私だけにその姿を見せている。これもまた一期一会だ。み言葉の本質を受け取れず、生き延びることだけに汲々としている私の在り様は、このひとつの花びらの優しさにさえ追いつけずにいる。しばらく見つめていると桜の精が話しかけてくるようで、更に何かしら酔い心地になってしまったようで、水を吸って浮かんだ薄桃色の花びらから目を逸らせた。
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