2011年4月21日木曜日

永遠という認識

夕、夜、朝、昼という周期が一日であり、この周期を一サイクルとし螺旋状に未来という前方に進んでいる。前方に進みながら春夏秋冬の新たな周期を、一年という一サイクルとして大きな螺旋状を描き未来という前方に進んでいる。ここまでの理解は大方に得られるが、さらにこの一年サイクルが螺旋状に前進しながら、より大きな次元の宇宙年という周期をつくっていることへの理解は得にくい。霊的認識の欠如した現代人にとって、個人の地上の生に関する事のみが関心事であり、悠久の時を航海する存在とはなり得ないからだ。自分という個人への執着が限定的な生に踏み止まらせ、それとは逆に他を意識し愛しひとつになろうとし為に生きる生こそが自己の開放であり永遠存在の生として悠久の時を航海していくことができる船になれる。み言葉を受け止め霊界を信じる兄弟でさえ霊界の永遠的な生活を地上の意味での永遠と捉え、霊界という地上に似た世界が広がっていてそこで永遠に生活するという、時を重ね続けるという永遠の認識でしかない。地上という有形実体世界がひとつの次元であるのに比べ霊界という無形実体世界は多次元に及んでいるように、自己愛を超えて家庭を愛し、氏族を愛し、民族を愛し、国を愛し、世界を愛すると言う様に、それは他の喜び悲しみが私の喜び悲しみ、世界の幸せが私の幸せだと言えるほどに為に生きる愛の領域を広げることで、地上的個人的な永遠の概念を超えて人類の行く末を御父母様と共に見守り関与もすることができる霊界的全体的な意味での永遠存在となれる。私の使命と願いを愛する子供に託すことが出来れば、私は子供の中に生きるのであって私の肉体が朽ち果てても生き続ける。私の中に血統として繋がるものが生き血統として繋がるものの中に私が生きるように、私の中に世界や宇宙が存在して生き、世界や宇宙の中に私が生きる。そして私の中に悠久の歴史が生き、悠久の歴史の中に私が生きる。即ち愛の版図を広げ愛する者のみが希望的未来を捉えて開拓し続け、愛することを止め希望を失わない限り永遠に時は刻み続ける。家庭への愛のサイクルが氏族へのより大きな愛のサイクルを作り上げ、氏族への愛のサイクルが次元を上げた民族への愛のサイクルを作り上げるというように、愛の次元を高める事と一日が一年に、一年が宇宙年のサイクルにと永遠足らしめる時間のサイクルを把握し認識する事とは対になっている。愛の発展なくして時間の発展はない。時がここまで流れて来た意味は神様が愛し続けてこられた証であり、今にも神様が愛することを放棄すれば一瞬にして時は止まり宇宙は消え去る。

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