2013年5月22日水曜日

今日の想い 570

意識を当て続けるとエネルギーが満ちてくる。コップから水があふれるように、或る時突然形が見え始める。真理と神霊をもって、すなわちみ言葉訓読と祈祷をもって天の父母様の意志を受け継ぎ、意識の光を当てて行く訳だけれども、しかし堕落性からくる肉心の衝動を抑えきれず、その衝動から意識放出がされてしまうことが往々にしてある。男性(天使長存在)にとっては先ず性衝動だ。性衝動はこの世の神、サタンからの偽りの愛が根底にあって、衝動として貴重なエネルギーを放出してしまうという、最近は随分変わりつつあってもやはりこの性衝動は大きな漏電のひとつではある。性衝動が、この世の人と祝福を受けた食口とどう違うか。実は、性衝動そのものは変わらない。祝福を受けて根っこは変わっても、本人の努力なしには直ぐには祝福の実りとして現れない。性衝動という性への感覚欲求は、多分に自体自覚的であり、天の願いではなく己が欲望を処理するという意味では自分で処理しようが相手がいようが誰であろうが変わりない。しかし決定的な違いは相手がいれば深みでお互いの血が混ざり、血の影響を受けてしまうということだ。それでは性衝動が他体自覚的になるとはどういうものか。天宙を主管する前に自己主管というみ言葉があるが、天の心情、天の私に対する願いをはっきりと自覚して、動機がそこから発動して意志として衝動することではないだろうか。実際未だそれについては開拓の途中でよくはわかっていない。男性の場合、行為の後は虚しさが残ることは誰もが経験している。虚しさが残るのは濃いエネルギーを地に漏らしてしまう漏電によるものだろう。受胎には外的受胎と内的受胎とがある。外的受胎は性衝動と切れない関係性があるが、内的受胎は神を求める精神衝動と切れない関係性がある。一方は性という感覚欲求への衝動であり、一方は精神というより高みへ向かいたいという霊的衝動だ。信仰生活で抑えられない性衝動にいつも振り回されて来たが、性衝動へ向かうものを霊的衝動に転換する、エネルギーの下方に向かい外的感覚へ向かうものを上方に向かわせ精神的、霊的歓びに向かわせる。自己主管することで閉ざされていたチャクラからチャクラへのエネルギーの不通を解消させて流れが良くなると、開かれた私を実感できるようになるはずだ。昇龍として、私の中を螺旋して上方に貫通させる天への霊的衝動に、天は霊的授精を施して、私は神霊を受胎する。

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