2013年5月5日日曜日

今日の想い 561

妻に指摘されて目覚ましが鳴っているのに気付き、起きて止めようと上半身を起こしたが、身体が鉛のように重い。それでも目覚ましを止めて、暫くベッドの端に腰かけて状態を把握しようとする。どうも目が回っているようだ。しかし外界がグルグル回っているのではなく、濁流に呑まれるように身体の中をグルグル回っている。目だけが血液の中に入り込んで、流れに任せて回っているようだ。外界を認識する目にはっきりと意識は伴わず、無意識の眠りの状態から身体だけが目覚めて、意識がまだ霊界の出口辺りに入り込んだ状態になった。人間は無意識の眠りの間、生霊要素を受け取る為に霊界の深みまで旅をする。しかし何らかの霊的妨害に会い、正しく旅が出来ないと不本意な状態で目覚めてこんなことになる。重い身体を洗面所まで移動させて顔を洗い、無理にでも地上への意識を取り戻させた。首筋が重だるく嘔吐感もある。こんな日は多くを悔い改めなければならない。昨日一日生きて、霊界に携えて行く何の実りもなかったということだ。些細な感謝のひとつも供えられなかったのであり、蕩減や責任分担への何の関わりも持たなかったということでもある。それは一方では私に対する期待が大きい、或いは私にしか頼れないという霊の解放に関わるものでもある。食口はこういった霊障が多くなっていくだろう。霊にすれば期待をかけるしかないのに、食口は悟らないし動かないからだ。基元節を越えれば何事もうまくいくかのような気分でいたけれども、悟らない動かない者に対しては、追い詰めて無理にでもそうさせるように霊は働かざるを得ない。地上的に考えれば何とも割に合わないみ旨の道だけれども、事実はそうであり、霊界に行けばそうでもしてプッシュされたことを感謝するはずだ。

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