2013年5月22日水曜日

御母様の涙

御母様がお話されるとき、私達の前に立たれるときはいつも涙される。御父様の願いを説明されて涙され、御父様の私達への想いを口にされて涙され、私達に御父様の願いに応えるよう促されて涙される。そしてひととき口を閉ざされ、無知な私達の目の奥を尋ねながらまた涙される。御母様の涙は、人類の母としての尋常を越えた苦労の数々が流させるものだと思ってきたが、御父様が聖和されて、お話する機会を度々見るようになると、母としての苦労や犠牲の痛みがそうさせるのではなく、純粋に御父様の心情に通じておられるが故の涙であることがわかってくる。私達の前で涙を流され差し出されて、差し出されたその涙を私達は受け取る。赤子が母の乳で育つように、私達の霊的生命は御母様の涙で育つ。でもいい加減乳離れすべきだろう。御母様にこれ以上涙させるべきではないだろう。堕落したエバから生まれた私達は、御父母様によって生まれ直された。私達は御母様から生まれた御母様の愛する娘であり息子だ。肉の母以外の他人に対して、貴方は私の母だと言って甘えてせがめば、気持ち悪がられて忌み嫌われるはずだ。御母様は敢えて流される涙で私の真の母であることを証明され、御父様と御母様の子供であるから親の願いに応えて欲しいと私達に涙で訴えられる。御母様は人類の母として底の尽きない犠牲の涙を流され、降り注がれ、人類は御母様の涙に浸される。涙に浸されて御父母様の心情圏にかき抱かれる。生きた聖霊実体の役事が私達の目の前で為されている。生きた女神イシスの再来を見るように、全ては御父様の心情に繋がった御母様の流される涙から産み直される。御母様は涙の御母様だ。

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