2014年3月4日火曜日

今日の想い 707

心魂世界では山を呑み尽すほどの大波が途切れることなく襲っている。第一波を避けても第二波が襲い、第二波も避けたとしても第三波が襲ってくる。地上にいる人間誰もがこの心魂の大波から逃れることはできない。それは霊界にいる霊人達が御父母様の到来によって、壁という壁、仕切りという仕切り、全てが取り払われた為に霊界自体が大きく揺れているからだ。霊界全体の揺れが地上人間の心魂世界へと、大波津波となって押し寄せているということだ。地上の物質世界に天変地異が見出されるのではなく、地上人間の心魂世界に上を下への大混乱が起こっているのであり、偽りの自分にしがみ付いている以上誰もが波に呑みこまれていく。物質的な波に呑みこまれれば犠牲となって物質的に終結するが、心魂の波に呑みこまれても終結を見ない。終結を見ないどころか度重なる大波に益々翻弄され続ける。波に抗うのではなく波に身を委ねれば浮かぶように、執着を捨て偽りの自分を捨てることでしか、心魂の波に翻弄され続けることから解放されることはないし、心魂の安らぎは訪れないだろう。天と地がひとつになる、霊界と肉界がひとつになるということは、その接点であり両界に跨っている人間の中に、特に接点の中の接点である人間心魂の中に、霊界の事実と肉界の現実の両方をどう抱え、相争うことのない、しかし妥協することもない統一的心魂、太平聖代を享受し幸福を享受できる心魂に変容させていけるかという問題だ。それは先天時代の人情時代とは全く異なる心魂様相であり、それは時代から時代の産道を潜りぬけて天情時代に相応しい心魂が用意されるのでなければならないのであり、それを簡単に言うなら為に生きる人生を願う心魂ということになる。統一的心魂は自体自覚を他体自覚にという意識転換が必要で、どういう歩みの形であっても為に生きるという意識ベクトルの180度方向転換が要求される。統一的心魂に変容するなら、どんな大波であってもそれを乗りこなすという姿勢や態度が変に構えることなく備わるのであり、そうなるともはや内向きで悶々とすることもなく、開放的心魂としてあらゆる現実も事実も取り込んで美味しく呑み込んでしまう。喜怒哀楽を美味しく呑み込んでしまう。

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